ボートで行くクルージング三昧

ホームポートを瀬戸内海(仁尾マリーナ)に移してクルージングを楽しんでます

念のため、油水分離器を左右ともに交換

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油水分離器は燃料フィルター(左手)と油水分離センサー(右手)から構成されていた。燃料フィルターは1個、内部にある紙フィルターとあわせて1万円ぐらいのものであったが、この油水分離センサーは、こんなに原始的な構造なのに1個2万円(合計3万)もした。これには整備担当のO氏もビックリしていた。

この2万円のセンサー(私から見るとシャワールームの排水サンプポンプ内のフロートスィッチとたいして変わらない)の茶色い部分がフロートで、油との比重バランスで普段は沈んでいるが燃料に水が混じって油の比重が変わると浮いて通電が解除されると言う説明であった。

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結局、フィルター内にあった燃料からは水は一滴も検出されなかった様で(上写真)、O氏からは「結論から言うと、波に叩かれた振動でこのフロートが動いて、一瞬だけ通電が解除されて警告メッセージの表示が出た」とすまなそうに説明してくれた。

トヨタマリン側からは「同型艇で、同じ事象が出ており、念のため新品に変えておいた方が良い」との示唆があったらしく、油水分離器を左右共に新品に交換した。工賃も含め約10万円ぐらいになるだろうと覚悟した。

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因みにPONAM−35のエンジンルームに入る階段の左右に設置されているこの写真の装置は燃料濾(こし)器というそうだ。その名の通り、燃料内のゴミ、水を濾し取る役目を果たすが、これを一次フィルターとすれば、そこを通過した燃料は次にこの2次フィルター(油水分離器)で更に濾されて燃焼室に入っていく。その際、コモンレール方式という電子制御型高圧噴射ポンプを介して噴射されるので高品質の軽油は必須なのであろう。これにターボチャージャーもついている訳だから、何かと整備にお金がかかるのは致し方のないことかもしれない。

整備ヤードでこうした説明を聞いている最中に、雷まで鳴って夏の夕立が急にやってきた。今年の夏初めての夕立。近づく台風10号の影響かもしれない。帰りながら「30分いてハイボール2杯飲んで、10万円請求されるぼったくりバーに入ったと思えば安い」と、つじつまの合わない話で自分を納得させていた。しかし、今度また同じ警告が出たら、それも海況の悪い時にだったら「10万円惜しんで、油水分離器を交換しなかったからこんな事になったんだ…」と自分に毒突くことになるのだから、気の持ち様でもある。

 

油水分離器異常メッセージの顛末(誤作動)

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帰港後、桟橋に小さな変化があった。上写真をご覧いただきたい。仁尾マリーナのオーナー諸氏が任意で集まり作ったNYOC(仁尾ヨットオーナーズクラブ)が、かねてよりマリーナ側に要請していた強風対策用にチェーンループを桟橋本体に取り付けるという案が採用されたのである。(クリート横に布カバーされているのがチェーン)

ご承知の様に、艇は桟橋のクリートを介して係船されているが、艇サイズにあわせてのクリート位置調整を可能にするため、桟橋本体に有る溝にクリートをスライドさせて挟む様に固定している。このスライド溝の金属が経年変化で劣化し、強風時にクリートごと飛んでしまうという事象が発生する様になった。これを完璧に回避するには桟橋の大幅な改修が必要となる。それには膨大な予算がいる。そこで、NYOCが提案したのがこの方法。200V給電対応に続き、この数年の仁尾マリーナの前向きな姿勢には驚くものがある。感謝したい。

 

さて、油水分離器の件については、帰港後直ちにベテラン整備士の0氏がスピーデイに対応してくれ、更にトヨタマリン側にも照会して原因の特定に努めてくれた。結論は「油水分離センサー」の誤作動という事になった。この事例は、他の同型艇(P0NAM−35)にも出ているとのこと。説明によれば、「センサーの中に水に浮き油に沈むフロートがあり、これが浮くと(燃料内の水分量に反応するという事らしい)通電する仕掛け」になっているそうだが、艇が波にたたかれる際にその衝撃の伝搬如何によっては油中であっても浮いてしまい、誤って通電することがあるのだという。このフロートの動作範囲は5ミリ程度だという。このフロート動作範囲5ミリという説明は、ふに落ちないが、とにかくセンサーの現物を見るまではと思っている。

その判断に至った最大の理由は私が「警告メッセージは出たが、エンジン出力の低下がなかった。その後は波にたたかれない様に減速した結果、警告音は出なかった」と伝えたからの様である。O氏からは念のため油水分離器内の水のたまり方も見て、多ければ燃料タンクの水抜き、そしてフィルター(左右各1個)も交換提案もあわせてあった。

 因みに、比較的低出力のディーゼルエンジン(排ガス規制対応以前)の場合は、噴射圧力が低いため燃料の質に割合寛容だそうだ。PONAM–35の場合、排ガス規制をクリアするため完全燃焼を可能とする超高圧噴射と電子制御の「コモンレール」噴射システムを採用したディーゼルエンジンを搭載している。エンジン自体はヤンマー製、日野自動車製、あるいはランドクルーザーのマリナイズした物と様々な噂があるが、船検証を見る限りトヨタ製と書かれている。

確かにその昔(30年前)、燃料タンクの針が半分ぐらいになった状態で荒天航海すると、底に溜まった結露水と軽油がタンク内でまるでシェイカーで振る様に混ぜられ、黒い煙を出しながら出力低下を起こしたことがあった。あれは新島と神津島の間の海峡通過時であった。

以来、揺れてもタンク内で燃料が踊らない様に常に満タンにす事を常としていた。あれから30年、エンジンルーム内の立派な油水分離器とフィルターの進歩に信頼を寄せすぎ、この原理原則を失念してしまっていたのだった。

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クルーズ終了後の艇内外清掃を終えてみると、仁尾マリーナ名物のサンセットの時間になっていた。その夕日に見送られて、艇を後にした。これでようやく、2020 第2回夏の炎天猛暑クルーズ(上蒲刈島往復)が終わった。

 

油水分離器異常メッセージの中「仁尾マリーナ」に戻る

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今日はホームポートである「仁尾マリーナ」に戻る予定である。燧灘を西から東に斜めに横断するコースを取るが、昔から「灘」の付く海域は荒れると大変と言われている。冬になれば、西からの季節風で海が真っ白になる時もある。西から東へ走る時は追い風、追い波(瀬戸内海の場合うねりは無い)となるので操船は楽だが、逆の時は大変走行が困難になる。今日は北東5mの風と予報されているので、斜め左からの向かい波の中を走ることになる。

クルーズ開始以来、炎天猛暑ではあったが無風のベタなぎが続いていたので、25ノット走行でも滑るようであったが、このコースでは燧灘中央部で本船行の引き波と風波が合わさり、波高1mぐらいになる時があったが、それでも20ノットぐらいで叩かれながら走行していた。

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そんな中、エンジンモニターから「ピー」という警告音。表示を見れば、「海水分離器(PACOR社製)異常、直ちにstop!」となっている。

「分離済みの水が強度の衝撃振動で再び戻り、それが燃焼室に送られ、それがもとで警告」と仮説し、取り敢えずエンジン出力は低下していなかったので、15ノットに落として排水艇の様に走行させてことなきを得た。勿論、この間に警告音が再び出る事はなかった。結果、いつもなら約1時間の航程を1.5時間かけて走った。

戻って、整備のO氏と話したところ、「分離済みの水が逆流して噴射室に戻る事はない。貴艇はクルーズ中、色々な所で給油を受けているので、(その中には質の悪いものあって)燃料タンクに水がかなり溜まっているのではないか」との説明を受けた。そこで「仁尾マリーナの高級免税軽油だけなら、こんな問題は起こらないのか?」と返したら、大いに笑ってくれた。

おそらく正しい答えは「燃料タンク内で発生する結露が時間ともにタンク内に溜まって行く。その事自体は仕方のない事象。クルーズ中は寄港する度に燃料満タンに戻していたが、今回はあまりの炎天作業となるため給油回数を減らした。結果、燃料計メモリ半分以下でも走行を続けた(岩城島→仁尾間)。よって、波にたたかれた際に底部に溜まっていた水分が再び軽油に混じり、その油が油水分離フィルターをすり抜け、噴射室に入ってしまったのだろう」と結論付けた。

 

 

 

 

岩城島「かみじまちょう・いわぎ海の駅」に到着

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9時10分に「上蒲刈島」を出航して、10時10分に岩城島「かみじまちょう・いわぎ海の駅」に到着した。無風で海面は鏡のよう、さらに追い潮も加わったため、想定よりも早く着いた。この海の駅も出発地の「かまがり海の駅」と同様に、給電、給水設備は無い。トイレはフェリーターミナルが反対側に見える赤い桟橋の前にあるので、ここが使える。上島町の海の駅と言えば、弓削島にある「かみじまちょう・ゆげ海の駅」が有名だが、既に何度も寄港しているので今回はこの地を選択した。しかし、今日も炎天猛暑、かれこれ1週間ぐらい続いている。午前中移動、日中は冷えた船内で休息、夕方から活動開始を繰り返しているが、それでも好きな事をやっているので楽しい。

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さて、この海の駅は事前の予約が必要で、使用許可申請使用許可申請について)を事前に郵送しておいた。係船料はトン数基準のため11円、桟橋前にある役場にて手続きし納付書をもらって、隣のJAにて支払いをする。貰う方も払う方も笑いながらの処理となる。

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このレグでは少々緊張感を強いられる瀬戸の通過がある。「大三島」と「伯方島」を繋ぐ「大三島橋」をくぐって「鼻栗瀬戸」を抜けるコースである。約7ノットという潮流が渦を巻く中、狭くてそれも進路が直角に曲がっている海峡は、小説「村上水軍の女」の中でも描かれている。ヨットの場合は、転流時間に合わせての通過が必須となる。(ヨットの機走スピードは5〜8ノット)今回はたまたま海峡内に通過中の本船がいなかったので、潮に押される形で一気に20ノットで走り抜くことができた。

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これが「鼻栗瀬戸」にかかる「大三島橋」。しまなみ海道を構成する橋でもある。この写真は西側からのものだが、橋通過後、小さな塔がたっている鼻(左奥に写っている)を左に直角に転舵して走るコースとなる。曲がった直後に同じく反対側から通過してくる本船に遭遇すると思わずラット(舵輪)を握る手に力が入ってしまう。

距離的にも目と鼻の先の関係にあるこの「岩城島」と「弓削島」の海の駅。今回の「岩城島」寄港で比較が可能になった訳だが、総合的に判断して「弓削島」に軍配が上がる。例えば「弓削島」には桟橋のすぐ目の前に「ゆげ海の駅舎」なるビジター艇向けの建物があり、その中には綺麗なトイレ、コインランドリー、キッチンがあり、桟橋では給水、給電(100vのみ)施設もある。さらに「インランド・シー・リゾートフェスパ」に行けば、素晴らしい大浴場を使わせてもらえる。鮮魚もすぐそこの「魚六」で調達できる。それでも尚、「岩城島」を選ぶとすれば給油の利便性があるからである。ボートの場合、これが優先される場合が多い。「弓削島」では、目の前にGSがあるにも関わらず、配達する軽トラローリー車のホース(10m)の関係で対応できず、GSが用意してくれるリアカーにポリタンクを乗せて(一回に3個)給油を繰り返さねばならない。干潮時は桟橋までのスロープが急になるので炎天猛暑では大変な重労働となる。その点、「岩城島」では軽トラタンクローリー車が桟橋まで入って来られるので楽である。

cruisingzanmai.hatenablog.com

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岩城島」の名産品の一つに写真の「芋菓子」がある。一言で言えば、岩城島産の芋ケンピであるが、芋ケンピという呼び名は高知県の商標であるため、「芋菓子」と記載せざるを得ない。ここの製造元が海の駅から5分のところにある。その名を「タムラ食品」という。作業場で暑さでけだるそうにしていた職員に声掛けしたところ(社長らしい)、売ってくれるという。「芋ケンピと、呼べないのは市場シェア7割を誇る高知県のメーカーがこの名で商標登録しているため、当社は芋菓子と呼ばざるを得ない。かつては岩城島に20軒のメーカーがあったが、今は当社だけ、1社では名産品と呼ぶ事すら恥ずかしいよ」などと謙遜することしきり。「せっかく岩城島が青レモンの島で売り出しているのだから、レモンケンピ?にでも挑戦したらどう?」と水を向けても首と手を大きく振りながら、「程々に回ればそれで良い。無理して製造ラインを増やして苦労するより、楽のできる今の方が良い。島にいる限り、贅沢をしなければ生きていける。それで良い」と、これまた笑いながら、前向きモードゼロの返事。でも、帰り道を歩きながら「確かに、そういう生き方もある。皆が増収増益を目指す必要はない。今の自分もそうでは無いか」と気づき、思わず苦笑い。

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燃料給油以外でこの「岩城島」に来る動機に上写真の「よし正」を推挙しておきたい。たまたま岸壁で知り合った島の有力者風の人から紹介され、一緒に出かけて入った店である。仁尾マリーナの船仲間、T氏からも推薦されていたのでためらいなく入った。聞けば、オーナーが超有名な有名料亭で修行し、そこでの栄達を捨て地元に戻って、「岩城島」No.1の店を作り上げたというバックストリーが聞こえてきた。確かに、見れば彼にはオーラもあり、加えて彼を支えるスタッフ、板前諸氏の仕事ぶりが素晴らしかった。いわゆる「箱良し、客良し、料理良し!」の店である。またもう一度来たいという思いを形にするため、焼酎を一升瓶でボトルキープしてきた。

 これまで瀬戸内海島巡りを何度も行い、訪れた島の数もかなりの数になりつつある。それらを離島開発、地方再生という観点で見ると、この島には大いにポテンシャルがあると思う。人口を支える雇用面でもこの島は生きている。例えば船舶ハッチで高いシェアを有する「岩城テック」という超優良地場企業の存在、この島と「生口島」を繋ぐ新橋工事が進んでいるのでさらに雇用の場が確保されている。そして、好立地にある「菰隠温泉」とその専用桟橋、「青いレモンの島」に由来する地産物、諸条件がこんなに整っている島は珍しい。

でも、今一つ島にオーラが出ていないのは「青いレモンの島」で売り出した時の中途半端な成功体験で満足してしまったのでは無いか、あるいは挫折感で疲れてしまったのでは無いだろうか。いずれにしても新しい橋の完成を前にして、この島をグランドデザインして語る力、すなわち目的を創るリーダーが現れることに期待したい。

「よし正」の酒と料理に酔ってしまった一晩となった。
 

野性味たっぷりの上蒲刈島「かまがり海の駅」

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「かまがり海の駅」は、予約、給水、給電、給油全部できない。それでも海の駅として開放している。きっと何かの跡地で、今は忘れ去られている所だからであろう。野性味たっぷりの場所である。私はここが好きになった。

www.setouchi-cruise.jp

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後ろに見えているのが、「呉市蒲刈B&G海洋センター」、「県民の浜」と一体になっており、若者達がシーカヤック、SUPで遊んでいた。しかし、ここ以外でもB&G海洋センターをクルージングの際に見かけることがあるが、常に良い場所を確保している気がする。

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着けた桟橋はおそらく旧フェリー桟橋であったと思われる。桟橋自体は古くて赤錆だらけだが、とても頑丈に作られている。夕方から釣り人が来るが、皆マナーが良く、ゴミひとつ落ちていない。因みにここは夕日が綺麗な所としても知られている。

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この場所は、本船航路から大きく離れているので引き波はこず、風がなければ鏡面の様になる。音も聞こえず、自然の中にどっぷりという錯覚に陥る。ただし、西に大きく開いているので、夏向きの海の駅であろう。

ここから歩いて10分ほどの所に「県民の浜温泉」という施設がある。夕方から付近探索がてら歩いて行ってみた。こじんまりした良い温泉であったが、先月に行った上関室津の「鳩子の湯」には敵わない。

 さて途中の航路だが、特に困難なところは無く、べた凪の中、陸地沿いに走った。三原を10時15分に出て、11時45分に到着している。

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背後に見えるのは「豊島大橋」ここを通過して、大子島と上蒲刈島の間を抜け、岬を回り込めば「かまがり海の駅」につく。 ただし、下記2つの写真(満潮時、干潮時)を見比べて欲しい。満潮の時は、この堤防は海面すれすれまで沈む。迂回する事を忘れずに!

桟橋の水深は干潮時で3m以上あった。5〜60fの大型クルーザーでも大丈夫であろう。

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 上の写真は、満潮時。下の写真は干潮時。干満差は3mぐらいであろう。

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体冷やしも兼ねて、船底チェック。ホームポートでは常時海上係留しているので、船底塗装をそれなりにしている。確かに船底は綺麗に保たれているし、ウォーターラインに付いた汚れなども、たわしで擦ればさらりと落ちる。但し、船底塗装対象外の水深振動子には貝がかなりついていた。これを取った後は深度表示がより早く、より深く出る様に戻った。

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炎天3日目、三原「みはら海の駅」に到着!

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牛窓の「ホテルリマー二」を9時10分に出港した。朝のニュースは「西日本各地で猛暑外出避けて」と報じている。このクルージング、出港前は「ボートで行く瀬戸内海夏のショートクルーズ」と銘打ったが、「瀬戸内海炎天猛暑クルーズ」の方が実態をよく表している気がする。

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今回のクルーズで最も距離の長いコースとなる。目的地の三原港「みはら海の駅」は陸電(含む200V)水道、トイレの揃ったところだが、給油ができない。よって途中の「境ガ浜ベラビスタマリーナ」に給油寄港することになる。11時10分に境ガ浜に到着。

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いつ立ち寄っても、好印象の「境ガ浜ベラビスタマリーナ」である。設備も良くメンテされており、スタッフの立ち振る舞いも素晴らしい。特にヤード作業に従事するA女史の明るい対応には毎度、感心してしまう。給水、給油(500L)を済ませそれぞれ満タンに戻した後は、静かな桟橋にそのまま残り、ランチ等もしてしばしの休息を取らせてもらった。そして、13時身も心も体もリセットして、三原「みはら海の駅」に向かった。三原到着は13時40分。途中、尾道水道を通過したが、この水道を通るたびに4年前の「佐島マリーナ」(神奈川)から「厳島神社」往復クルーズを思い出す。あの時は全てが初めてで、「尾道中央ビジターズ桟橋」に艇を着けるのも狭くてドキドキ、さらに怖かったのは尾道水道東入り口の浅瀬通過時に反対側から船が来て、その行き合い時、水路からはみ出し危うく座礁しかかった事だった。

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さて、この「みはら海の駅」は最近、超大型艇(メガヨット)のお気に入り桟橋化しており今回も大賑わいである。私の反対側には「仁尾マリーナ」で見かけたメガヨットが舫われていた。私の真後ろには、明日向かう予定の「上蒲刈島」(通称、呉市県民の浜)から来たヨット(ジャヌー40)が遅れてやって来た。この艇のキャプテンは、ラインでは繋がっていたW氏であった。しかし、お会いするのは初めてである。「縁は異なもの味なもの」である。

炎天猛暑も3日目、毎日摂氏40度のFBでの操船は身体に応えてきた。航海中口の中のツバキ濃度が濃くなり、倒れる前の馬、口から白い泡が出てくる始末である。その点、若いW氏は凄い。エアコンのない!このクルーザーを操って、別府から小豆島(岡崎造船)に向かうべく1人で航海している。夜になれば、迎えに来た地元の仲間と飲みに出かけ、それもハシゴすると言う。一方の私は、夕方から昼寝、起きたら19時、街の居酒屋詣は躊躇なく取りやめ、船内居酒屋にてこのブログを書いている。今「40代に戻りたいですか?でも現役世代に戻りたいですか?」と自問自答している。よく考えるまでもなく、現役には戻りたくない!人生下り坂最高!

 

 

牛窓、ホテルリマー二の専用桟橋に到着

フェリーの稼動時間に女木島のビジター桟橋にいると、ひっきりなしに沖合を交錯するフェリーの引き波が、狭い港の中で三角波状態になり船酔いする。そこで、朝食も取らず、顔も洗わず朝8時に「牛窓」に向けてそそくさと出港した。8時45分に牛窓港にある「ホテルリマー二」専用桟橋に艇を着けた。45分の短い航海であった。

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このホテルは「Go to トラベル」の適応対象なので、これを利用するべく初めて泊まることにした。写真の専用桟橋、この場所で満潮水深は10m程度あり、周囲が浅かったので意外であった。造船所の跡地開発なので初めから水深があったのであろう。隣の52fの大型クルーザー(余り補修、メンテがされていない)は、ホテルゲスト用のチャーター艇で、先ほど客を乗せて出て行き、1時間ほどで戻ってきた。フロントのパンフを見ると45分で約3千円、ひっきりなしでお客を乗せている。

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このホテルには2本の桟橋があった。「うしまど海の駅」の看板も上がっている。「海の駅」ではあるが、ここに着けるには「ホテルリマー二」に泊るか、レストラン利用が必須となる様だ。詳細は下記でご確認を。

www.umi-eki.jp

 

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ホテル側はエーゲ海の雰囲気を演出している様だが、私には古びたハワイのローカルホテル、国内なら葉山の「ホテル音羽の森」を思い出す。このプールに入って、熱射病一歩手前の我が身体を早くに冷やしたいと思い、早速入ってみたのだが、冷たいどころか太陽に温められた水は銭湯のお湯となっていて、体は全く冷えなかった。

チェックインまでの間、空調の効いた艇内でのんびり過ごし、「女木島」泊における睡眠不足を解消した。その後、再び元気になったので、地元観光として予め調べておいた「牛窓神社」、「本蓮寺」を回ることにした。ただし、あまりの炎天のため、タクシー利用である。

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牛窓神社」参道入り口。

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中門、これより先が神域となる。

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お賽銭を投じ、2拝2拍手1礼。ここも宇佐神宮からの勧請。宇佐神宮石清水八幡宮→鎌倉八幡という勧請の流れは有名だが、それ以外にも八幡神が武門の守神となったことで、宇佐八幡勧請がブームになった様である。先月行った「倉橋島」の「桂浜神社」も地域の武門一族が勧請している。

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江戸時代、朝鮮通信使は必ず入港し、宿をこの「本蓮寺」に取った。この牛窓は古くは吉備国の塩生産地、江戸時代なら北前船の寄港地、和船の造船地として繁栄したという。私的には、その栄華が過ぎ去っても街が存続していることが不思議であった。街並みは、鞆の浦に似てなくもない。

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お決まりの三重塔。室町時代の建立なので、朝鮮通信使の人達もこの姿をきっと見たに違いない。この場所から、見下ろすとすぐ前に朝鮮通信使の乗った船が着いた港が見える。今はフェリーターミナルとなっている。

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気になったのは、「本蓮寺」階段下のこの店。何やら旨いものを食わせてくれそうな雰囲気があった。次回牛窓に来るなら、「ホテルリマーニ」を素泊まりにして、ここに来よう。

女木島ビジター桟橋で船酔いする!

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仁尾マリーナを13時15分に出発し、女木島に14時45分に到着。1時間30分の航海となった。出発時間がお昼となったため、フライブリッジは40度の炎天下航海で、到着時は口数も少なく、軽い熱射病の様であった。

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女木島のビジター桟橋である。この静止画写真で見る限りは良さそうに見えるが、実際は高松港に向かうフェリーの引き波でとにかくよく揺れる。それも方向感のない引き波のため、もみくちゃ感が強く、艇の中に居ると気持ちが悪くなる波だ。日中はひっきりなしにフェリーが沖を通るため、ずーっと揺れ続け、高松港発着の最終フェリーが終わり、海上が静かになる午前2時頃にようやく揺れが止まるという次第。その様な状況であったため、夕食の時間は揺れの真っ最中であった。そのため、艇の揺れがキツく船内での食事を断念し、艇を繋いだ非常にしっかりしたコンクリートの浮桟橋に、テーブル、椅子、料理を持ち出してオープンエアーでの食事をとる事にした。結果、充分なオープンスペースでの食事、夕焼けの眺めも良く、適度に風も吹いていて、とても気持ちの良い食事の時間となった。

この島に居酒屋はないが、海の家が海岸にずっと並んであり、コロナのない平常年ならここで楽しめそうである。前回、高松に寄港した時は、(誤って)大的場国体ヨットマリーナに艇をつけたが、とにかく終日引き波で揺れ続け、耐えられなくてその日はわざわざホテルステイに切り替えたほどだった。という訳で私にとって高松港の印象は残念ながら良くない。揺れについてはこの女木島も同様で、快適に船中泊ができるボート泊地として、私はここを勧めない。勿論、陸電はとれず、給水(貰い水は可能)、給油いずれも不可、1日1720円である。予約は下記に連絡をしておいた。

pb-setouchicruising.com

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泊地としては勧めないが、この女木島の海岸は、香川県トップクラスの清潔度を誇るビーチだそうだ。平年なら年間2万人の高松市民が訪れる綺麗なビーチ、きっと大賑わいなのであろう。トイレは綺麗なものから普通のものまで複数ある。勿論、今年は海開きもしておらず閑散としていた。「例年なら高松港で大規模な花火大会があり、それをここから見るのが最高」という話は聞くが、この絶え間ない引き波揺れなら、その魅力も私の場合、帳消しとなる。

 

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さて、観光面としてはこの女木島は桃太郎伝説で言う「鬼ヶ島」としてアピールしている。鬼が住んでいたという洞窟もあり訪れてみたのだが、正直、良くここまで嘘がつけるなぁとの印象を持ってしまった。(写真の場所は、鬼達が夜な夜な酒を酌み交わし、夢を語りあった場所との記載がされていた)けれども、真夏のこの暑い時期でも、洞窟の中は年間を通じて15度とのことで、暑さにやられていた状態からしばし開放してくれた空間であった。

洞窟を訪れた際に、入り口の集金人に質問をした。その回答は「この洞窟は人間が自然に出来た洞窟を広げたもので、鬼が作ったものでない。鬼すなわち当時の海賊が隠れ家として利用していたらしいものです。桃太郎話も当時の讃岐に役人として赴いていた菅原道真がローカル伝説を脚色したもの」と言うものであった。どうやら、海賊退治の物語の様である。子供の頃、この桃太郎物語を聞かされワクワクしたが、後、黍団子を食べた時、「なんでこの食べ物に皆が命をかけてついていくほどの魅力があったのだろう?」と思ったものだが、その記憶は今も新しい。それでもその嘘に敬意を払って大人1人600円を支払って見学した。写真はその時の洞窟内の一コマ。右の青鬼が私のホームポートである「仁尾マリーナ」の整備スタッフK氏に似ているので思わず撮ってしまった。

 

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 最後にここのフレンチドリップによるコーヒーはとてもうまい!

 

又々、ボートで行く瀬戸内海ショートクルーズ

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8月に入っても依然コロナ災禍の勢いは止まらず、お盆帰省も感染拡大を危惧して慎重な判断を求める自治体が目立つ様になっている。ホームポート「仁尾マリーナ」が位置する香川県三豊市でもとうとうコロナ感染者が報告され、もはや安全地帯ではなくなってきている。そんな状況では、年初から周到に準備してきた北前船寄港先港巡りの日本海クルーズを実行することは出来るはずもなく、一年先送りする事にした。

 代わりに計画したのが、瀬戸内海ショートクルーズ。ボートの足の速さを駆使してアイランドホッピングを楽しもうというプランである。7月に第1回目(新居浜今治倉橋島→上関室津生口島)を実行、8月は写真のように航程を組んでみた。勿論、混雑を避けてお盆明けを選び、今流行りの「Go to トラベル」を使って専用桟橋付きのホテルも組み入れている。女木島→牛窓→三原→上蒲刈島岩城島と廻るが、この4年で訪ねた瀬戸内海の寄港先は20ヶ所を超えた。これでボート(35f)で快適に訪ねられる瀬戸内海の主要な寄港地はすべからく網羅したと思う。

この2020年3月のボートショーを機会に雑誌舵社と組んで「四季のサイト・クルージング」と題する本を上梓したが、足元のコロナ騒動でボートショーが中止。出だしがいきなり海況回復待ち状態。その後もコロナ蔓延で頼みの全国書店も対面販売は苦戦中と聞く。一方でトヨタマリンが販促用として購入、仁尾マリーナの仲間、そしてビジターで訪れてくるクルーザーの人達がカウンターに積んである本を手に取って買ってくれている。有難いことだ。

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「仁尾マリーナ」に戻りました!

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前日から停泊している生口島瀬戸田港)フェリー桟橋だが、朝5時30分に艇がガツンと大きく揺れて起こされた。前日のフェリー最終便が離岸してからは水道を通過する船がなくなり、ゆっくりと眠れた。しかし、早朝は漁船がフルスピードで水道を走り抜け、その曳き波は桟橋上面に流れ込む程であった。水道が狭いので、曳き波の勢いが減衰されないからであろう。

瀬戸田港」の桟橋は、フェリー桟橋(三原行きが多い様だ)なので、待合所が自由に使え利便性の高い泊地と思う。でも温泉巡りも楽しみな私にとっては船内の温水シャワーではちょっと物足りない。一方、桟橋前では大規模な宿泊施設工事がされていた。もしかして、日帰り温泉?と期待したが、これも地元ボランティア(昨日と同じ人。朝も立っていたので、単なる親切爺さんかも知れない)に聞けば「年内完成予定の一泊1人5万の富裕層向け高級旅館!」との事。それならば、誰が経営するのかと思って、工事告知看板を写真に納めた。「瀬戸田ホールディング」が施主となっていたが、これもボランティア曰く、ファンドと尾道市とこの場所の持ち主による合同プロジェクトだそうだ。私の関心事はお風呂を使えるか否かだが…。

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曳き波もあるんで、ゆっくりと朝ごはんと言う訳にもいかず、おにぎりをお茶で流し込んで8時30分に出港、備後灘、燧灘通過時は波高1mであったが、全体としては私の好きな雨天航行となった。10時に仁尾マリーナに到着。400Lを給油して満タンに戻した。このクルーズで使用した燃料は合計750Lとなる。

引き続く雨により瀬戸内海には本土の河川から多くのごみが流れ込むが、今回も例外では無く「仁尾マリーナ」に近づくにつれゴミが増え、何度も回避減速を強いられた。

さて、今年から海上係留に替えたので、帰港しても上架しない、従い船底洗いもなく、エンジン洗いも無い。疲れている時は楽だ。雨も降っているので、取り敢えず、自分のバースに着け、そそくさと荷物おろして家に戻った。

 さて、途中、「岩城島」と「生名島」の間を通過したが、噂の橋の工事始まっていた。橋が完成すれば岩城島も大きくはしまなみ海道、小さくはゆめしま街道の仲間入りとなる。

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 左が「生名島」、右が「岩城島」。この橋が完成すれば、「岩城島」は「生名島」/「佐島」間を結ぶ生名大橋、「佐島」/「弓削島」間を結ぶ弓削大橋と連携して1つのルートを構成する島になる。このルートは、しまなみ海道にあやかってかゆめしま街道というそうだ。