ボートで行くクルージング三昧

ホームポートを瀬戸内海(仁尾マリーナ)に移してクルージングを楽しんでます

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)6月5日「井根漁港」

17日目:昨晩の夕焼けが約束したように「鳥取港」は朝から晴れている。昨日のタクシー運転手(ジャケットに観光マイスターのワッペン)に海岸と砂丘の違いを尋ねたところ「海岸と砂丘は同じです。ちなみに砂漠と定義されるには昼夜の温度差50度が必要になります」、更に「日本一大きい砂丘鳥取砂丘ではなく千葉県房総の御宿、月の砂漠という歌の舞台も御宿なんです。これらは観光資源の劣化を招くので実は内緒にしたいのですが…」と語ってくれた。これだけのガッカリ話を聞かされ、すっかりと鳥取砂丘訪問の動機が消えてしまい、晴れているのに今も艇内にいる。

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更新済みの「海上無線局免許」が届いたので、12時に「鳥取港」を出港した。65マイルの距離ではあったが海況に恵まれ(無風、無波)15時に「井根港」に到着した。

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着いてみて、びっくり。週末土曜日でもあったため、観光客でごった返している。観光船のキャプテンに聞けば「今はコロナだからこんなもんだが、普段ならこの倍以上の人出、車は駐車場の空き待ちで列を作っている状態や」と語った。「今日は週末稼ぎ時、観光船の離着岸がやたらに多い。泊まるなら安全を考えて反対側に艇を付け直した方が良い」とアドバイスされ、再度反対側岸壁に着け直したが、観光船の離着岸がないことをよそに、沢山の家族連れが糸を垂らしている、「すいません、すいません、糸を巻いていただけますか」と謝りながらの着岸となった。水深は2.5m、トイレは徒歩3分のところにある。

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鳥取港」で海上保安署職員から「井根港」入港にあたっての注意喚起を受けていたが、なるほどそのとおりの状況であった。上記写真の黄色のエリアに沢山の定置網がセットされており、極端な程、大回りして入港した。ショートカットは禁物である。
 

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因みに、これが海から見た「鳥取砂丘」!

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)6月4日「鳥取港」2日目

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16日目:午前4時ぐらいから南の強風(15m)が止み、2時間遅れて泊地内の波も収まって艇体に当たるチャポチャポ音もなくなりつつある。雨はまだ止んでいない。天気予報では、この強い雨が午前中いっぱい続くと報じている。注意報は出ていない。

夜中に2回見回ったが、干満の差が殆ど無い(水深3.5m確保)ので、舫ロープの調整は不要、懐中電灯による目視だけで十分であった。雨はまだ大いに降っており、止むまでそれまでは艇内で、昨晩の睡眠不足を補うつもりである。今は西の風8mに変わり、後ろから風雨を受けている。舫ロープを一部取り直して対応したが、昨晩からの雨の吹き付けで船体についた塩はすっかり洗い流されたはずだ。

この場所利用について、新たな発見があった。昨日は強風時に艇をつけたので、海から見ると裏面になってしまう掲示板を読んでいなかった。雨が上がり、陸に上がって書かれている内容を読むと、文面からはこのスペースは緊急避難による利用が前提のようである。だから、職員が何度も「緊急避難ですね!」を繰り返したのであろう。

f:id:bentenebis:20210604180219j:plain15時ごろになってようやく雨が上がり、西の空が明るくなり始め陽光も漏れ出してきた。早速、「日の丸産業(エネオス)と待ち合わせて300L(累計2,500L)を入れて燃料を満タンに戻し、さらに港湾事務所の許可を得てポリタン給水4往復で水タンクも満タンに戻した。

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徒歩20分(タクシーならワンメーター)の所に「イオンモール鳥取北店)」がある。散歩も兼ねて出かけてみた。当然、施設の中にはイオンのスーパーもあり、生活雑貨、生鮮食品の買い足しもできる。ただし、コインランドリーはなかった。

「Windy」をチェックすると、明日以降から凪が続きそうなので、次の目的地「井根漁港」への出港を考えている。約70マイルの航程だが、保安署職員の説明によれば、「周辺沿岸部には定置網が沢山あるので十分沖出しし、かつ入港にあたっては南から北に向かって港内部が見渡せる進路を取ってください」であった。

f:id:bentenebis:20210604193304j:plain久しぶりに見ることができた夕焼け。明日は天気回復の可能性大であろう。

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)6月3日「鳥取港」

15日目:8時25分隠岐島「西郷港」を出港。さて、今回の「鳥取港」までの航程は「Windy」どおりであれば、いつもの快適な航海のはずだった。最も、強風注意報は出ていたが、それは15時から明日の午前中にかけてだったので、午前中に到着すれば安全と考えたのである。

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しかし、2時間走ってあと30分で「鳥取港」に着く頃に強風に捕まってしまった。、つまり「鳥取砂丘」がはっきり目視できる海域に入った途端、南10〜15mの風がにわかに吹き出し、「鳥取港」入港までの30分は海上白ウサギが飛ぶ中、向かい風の中での入港となってしまった。「鳥取港」は冬の北風強風に備えたつくりなので入るには一文字堤防の裏に回り込む必要があるが、その転舵エリアが「千代川」の河口なので今回は南風の通り道と化し、波も悪かった。(結局、午後になって「Windy」も写真のように予報を変えて、今日、明日にかけて「鳥取港」での緊急避難が現実となった)

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「Raymarine」のチャートだけでは読みきれないので、Googleマップも併用し目的の岸壁(鳥取海上保安署前)まではたどり着いたが、いざ着岸となると、10m超の風ではジョイスティック操船の推力が風の力に負けてしまい、船首が風で回頭し始めても元に戻せない。これでは接岸できないので、ジョイスティック操作を諦め、左右エンジンのリモコン操作のみで操船する事になった。ブロー15m、風は南からで岸壁に対し右斜め前からの寄せの風になるので、多少乱暴な着岸になるやも知れずと考え、岸壁側に4本エアーフェンダー全てを降ろして準備したが、風が強いのでエアーフェンダーはデッキのラインまで舞い上がってしまい、これではフェンダーの機能を十分果たせない。エアフェンダーにはこんな弱点があったとは…。そこでさらに大型の「涙滴フェンダー」も合わせてぶら下げたが、これは風にもびくともしない。こうして、艇体無傷で接岸することができた。「涙滴フェンダー」にまたもや助けられた。

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接岸が無事終えてホッとする余韻もなく、係留場所から見える「鳥取海上保安署」から早速職員がやってきて、「南からの強風なんで、緊急出動の際に前の巡視艇が後ろに下がって、貴艇にぶつかってしまう可能性がある。もっと下げてください」との事、そして「安全指導したいので、関連書類全部出してください」とも言い出した。「では、船を下げるのを手伝ってください」と厚かましくお願いし、強風の中職員2名と私で船をズルズルと引っ張って巡視艇と後ろのボートの真ん中という絶好の位置に修正した。

「実は船舶無線局免許が6月7日で切れるが…」と切り出したところ、待ってましたとばかりに「新しい免許がなければ、出航停止処分になります!更新された新免許があるなら、自宅まで取りに行っていただくか、当保安所気付けでも良いですから現物を郵送してください。ただし現物確認が出来るまで出港停止になります!」なかなか厳しい…。6月7日以降の「臨検」を考えると、保安庁職員とのやり取り、交渉が面倒と考え、3日前に「仁尾マリーナ」から連絡のあった「新基地局免許」の現物を手元に持っていた方が良いと判断した。

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タイミングを揃えたように、今度は同じ岸壁に並んで位置する「鳥取港事務所」(上記写真)から職員が出てきて「緊急避難ですか?」と聞いてきたので「はい、にわかに15mの強風に変わり、風が落ち海況が回復するまでここで避難したい」と回答したところ、続けて「何日ぐらいになりますか?」こればかりは風に聞かないとわからないので「2〜3日」と答えたところ、得心したのか「緊急避難なら使用を認めます。係船料を免除するので手続きに来てください」」との返事。こんな良い場所(水、トイレの利用も許可してくれた)で係船できるなんて誠にラッキー!と小躍りしてしまった。

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)6月2日「隠岐島」(島後)

14日目:8時15分 鶴丸ホテルのスタッフに見送られて出航。途中、泊地研究のため「菱浦」に立ち寄り、泊地候補場所を見定めてきた。海況はナギである。

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位置する島は「中ノ島」、その一つの入江である「菱浦」の入り口には「マリンポートホテル海士」が聳えるように立っているのでわかりやすい。古い案内図には国民宿舎と表示されていたので、今の外観を海から見るとちょっとゴージャス。誰かが買い取って再投資したに違いない。

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この景色(下写真)には見覚えがある。泊地研究の際「DONの泊地情報(2014年7月17日記録)」に乗っていた写真と全く同じ構成だ。つまり、眼前に見えるスーパーボートは常時この場所に係留されており、我々ビジター艇はその前後あたりに着けられるということなのだろう。だだし、この場所は入り口からまっすぐ奥に入った位置なので風向きを考えて泊地選定したほうが良い(地元の漁船は皆、右左に回り込んで着けており、きっとこの場所は荷揚げ時に利用される一時係船岸壁だろうと思った。結論から言えば隠岐島に行くなら、「焼火神社」のある「西ノ島」がよく、着けるなら「鶴丸ホテル」の「海の駅」が1番安全・快適だと思う。

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「菱浦」に立ち寄って「島後」(西郷港)には9時30分に着いたが、途中の海域は潮の影響がありチョッピーな波が続き、これに強風が重なれば厄介な海域になるであろう。

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本船ターミナルを回り込んだこの場所を「鶴丸ホテル」の社長が勧めてくれた。歩いてすぐに港の管理事務所がある。この地でも給油(西郷日石)150L(累計2200L)を行い、満タンにしておいた。

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さぁ、いつもの神社参りである。今回は1日のみの滞在なので、レンタカーを使っての島巡りは計画していない。それでも昔の国司に倣って隠岐島の総社神社である「玉若酢命神社」には行かねばなるまい。

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本殿の造営は1973年ということなので、歴史的に見ればそれほど古いものではない。隠岐造りという建築様式だそうだ。屋根に千木,堅魚木、横木が載せられているがその組み合わせは出雲大社伊勢神宮の良いとこ取りの感じがした。それでも屋根が素朴に茅葺きなので時代を古く感じさせ、荘厳な感じを上手に演出している。恐らく、初めに神木(八百杉と言う)ありきの神社であったのだろうと推察した。

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すぐ横にある代々の社家(宮司)の家が素晴らしい。初代は「隠岐国」の国造であった「億岐家」、出雲大社で言えば出雲国造であった千家の家系に相当する。家造作もさることながら、その設計思想(玄関が訪問者の身分に応じて3つある)が当時の宮司と他の身分者との上下序列を反映しているからである。

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航海中の生活は規則正しくなる。航海を続行するために必要だからだ。出港時83kgの体重はすでに79kgに落ち、コロナ太り返上の体である。ずーっと魚料理なので、この地「西郷港」では隠岐牛三昧をすべく超人気店「勇加理」を訪れだが、食欲は気持ちばかりが先行し、結局わずかばかりの肉で満腹となってしまった。

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)6月1日「隠岐島」(西ノ島)2日目

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13日目:「隠岐島」(西ノ島)での滞在は2日間とも「鶴丸ホテル」(正式には隠岐シーサイドホテル鶴丸)である。一か月に及ぶロングクルーズの負荷が、体に応えないようにするためには途中で旅館・ホテルに泊まるようにしている。その宿泊施設が専用桟橋を持っているなら最高である。

このホテルには多くのヨット乗りがやってくるようで、境港公共マリーナをホームポートに活動しているMBYC(美保湾ヨットクラブ)のメンバーも連んでよく行くと言っていた。「隠岐島で風呂が入れて、飯が美味くて、ヨット・ボート歓迎、専用桟橋まであることを考えると鶴丸しかないな」とはT氏のコメント。だから、皆が持ち込んだ、船好きなオーナーが買い求めた雑誌「舵」がロービー本棚にたくさん並んでいた。因みに、このホテルのオーナー社長と少し話をさせてもらう機会を得たが、聞けば私と同じS28年生まれ、「船乗りになりたくて、商船学校に入学したが、家の都合で諦めざるを得なくなってしまった、だから船で来る人は無条件で歓迎、ホテルに泊まらなくても桟橋、お風呂は無料にしている」とのことであった。

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あまりに懐かしさに1時間近く読み耽ってしまったが、記事の内容もさることながら、雑誌に広告を掲載している企業の顔ぶれもそうであった。今も生き続けている企業がいかに減ったかがわかる。それにしても昔の「舵」誌は重かった!

本日は、レンタカーを使って観光地巡り。その後は明日の出港準備(燃料、水補給、ゴミ出し)をする。次の更新は観光地巡り報告となってしまうことを再びお許し願いたい。

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隠岐島」(西ノ島)の別府港と、本土(境港)はこのように立派なフェリーで結ばれている。大型のトラック、観光バスがそのまま入ってしまう。

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寄港先に由緒正しき神社があれば必ず参るようにしている。ここ西ノ島に鎮座する「焼火神社」は古くから隠岐島における海上の守護神としての崇敬を集めている。車で中腹まで上がり、後は徒歩で約30分登ってようやく辿り着いた。隠岐島最古の木造建築物だそうだ。

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隠岐島」はかつては流刑の地であった。流刑は死刑に次ぐ重い罰で、ことに隠岐への流刑は遠流といって流刑の中でも最も重い罰だったそうだ。ところが約一年ののちに、隠岐島脱出に成功して、旗揚げし、幕府軍討伐に成功して京都に凱旋、いわゆる「建武の中興」だが、流刑中に過ごした御所跡が写真、地元では「黒木御所跡」と呼ばれている。

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この島には、牛と馬が自然放牧されている。この一家はこの下に溜まった水を飲んでいた。脅かしてはならないため、車をここに置いて、あとは歩いて見晴らし台へ行った。

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見晴らし台までは、馬と美味しそうな牛(隠岐牛)の間を通っていく。

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ジオパークに認定された島だけあって、中々の景色。空気が澄んでいるせいか、距離感が掴みずらかった。真ん中の奇岩が「観音岩」今の時期はこの岩に夕日が重なり、観音様に後光が差したように見えると言われた。

明日の「島後」行きの準備が終わった。燃料(奥田モータース)は離島だから高いのは仕方がないと覚悟をしていたが実際には免税で¥103であった。200L(累計2050L)ホームポートの「仁尾マリーナ」のが断然高い!

さて、「島後」は「隠岐島」を構成する島の中で最大の島、人口も1万人を超える。隠岐島の表玄関的島で、船なら「西郷港」、飛行機なら「隠岐世界ジオパーク空港」が控えている。泊地研究ということで、1日だけ「西郷港」泊りを体験してみることにした。本心はずっと魚ばかり食べてきたので、「隠岐牛」の焼き肉を食べてみたいである。何しろ放牧されていた黒牛を見て「美味しそう!」と感じたぐらいなのだ。

 

 

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)5月31日「隠岐島」(西ノ島)1日目

12日目:いよいよ今日から「隠岐島」である。瀬戸内海の孤島とは違う。朝から武者振るいが止まらない。祈るように「Windy」を開く、昨日の予報どおりだった。「境港公共マリーナ」の入り口付近の水深は干潮時1.8mだったので、満潮(9時30分)を見計らってを出なければならない。無理すれば、「ペラが巻き上げた海底の砂がインペラーに入りかねない」(MBYCメンバー談)となるからである。次の更新は無事に着いてからとなる。

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8時30分出港、入り口の水深は常に2m以上で安心して出られた。出てから地蔵崎までは無風・波無し状態、それからは徐々に北東の風が出始めたが、まだ波の発生には繋がっていない。そのため、全航程を1m未満の横波の中で快走した。25ktでの走りが可能であったので、10時30分に隠岐島(実際には西ノ島)の「鶴丸ホテル専用桟橋」に艇を着けた。あまりの呆気ない走りに、朝の武者振るいを思い出して失笑してしまった。

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途中、動作確認のために、故障(油圧ホース亀裂)して応急修理した姿勢制御フラップをマニュアルからオートに切り替え、走行してみたのだが、すぐに「フラップ制御に異常あり!」の警告が出た。「単に制御用オイルを足しただけではダメで、きっとエアーが制御システム内に入っているのですぐにアウトになる」という事前のトヨタマリンのO氏の指摘は正しかったことになる。もちろん、すぐにマニュアルへの切り替えスイッチを押したが、やはり切り替わらない。前回はここで慌てたが、今回は2度目、前回の経験が生きている。まずはキャビンに降りて12V電源コントロール板を開け「トリムタブ・ブレイカー」(写真左下から4つ目)をリセット。

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すると表示はマニュアルに切り替わり、フラップ操作がマニュアルで動かせる状態に戻った。フラップの位置を上げ、元に戻した。エンジンが回ると軸回転の反作用で艇がやや右に傾いて走ることになるが、これは致し方ない。着艇後は発電機室を開けて制御オイルの漏れを再チェック、ループで括られている臨時の耐圧ホースは無事役割を全うしていることを確認した。当然、船底に制御オイルの漏れ全くなし。

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この方が、このホテルの社長と思われる。(後に従業員に聞いて確認)「目は口ほどにものを言う」というが、絶対にこの人は優しい人だと思った。桟橋も含め全て手作り、道具もかなり買い込んでいるようだ。プロレベルの仕上がり。社長は経営の才覚ばかりか大工の才もあるようだ。今回はコロナ禍で時間があるのだろう。大いに凝って海上レストランをリニューアルしていた。

またホテル正面の入江にはビンテージ級の船(まるで鶴丸艦隊)が、メンテの順番待ちのように並べてある。よくもこれだけ揃えたものだ。よほど儲けたに違いない。私も一隻持って帰りたいものだ。

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久しぶりに湯船に入って暖まった。今回、完全夏支度できてしまったためかなり寒く感じる羽目になってしまった。服装計画を間違えたと言える。湯船が久しぶりなのは、コロナ対策でいつもなら多用する日帰り温泉的なものは利用しないようにしてきたからだ。仮に利用しても家族風呂。今回泊まる「鶴丸ホテル」は他にお客さんがいない。貸切状態、よって大浴場にはいることにしたが、その浴槽が船の形になっている。何もここまで船にこだわらなくても…と大笑いしてしまった… 

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鶴丸ホテル」で出された刺身の盛り合わせ。久しぶりの揺れない夕食! 

 

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)5月30日「境港公共マリーナ」3日目

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11日目:どこのマリーナにもお洒落な人はいるもの。このショットは昨晩お世話になったMBYC理事長T氏の艇とその愛車。まるで、ポルシェの宣伝ポスターのようなヒトコマである。

コロナが終焉したら、MBYCでチームを組んで、まずは「ナホトカ」、次にロサンジェルスに回航して、ロス→ハワイを走るヨットレース(昔のトランスパック?)に参加したいとおっしゃる。年齢は私と同い年(S28年)、自分にも、また所属するNYOCの皆さんにも思わず、カツ!

先程、配達給油(松本油店)250L(累計1850L)が終わった。ビジターズ桟橋では給油ホースが届かないので、このマリーナでは艇を移動させる必要がある。マリーナ入口の水深は浅いが、中に入れば3mの水深が確保されている。今日気が付いたのだが、このマリーナの係留桟橋は浮桟橋そっくりだが、実際は固定桟橋であった。地球的に海面上昇が進んでいるとの話をよく聞くが、よく見れば下駄を履いて高くしているのがわかる。(下の黄色が旧固定桟橋、それに50cmの嵩上げ処理)

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午後はいつものようにレンタカーを調達しての観光。本日のブログはしばし、観光案内となるがご容赦願いたい。

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 まず出かけたのが「足立美術館」、結論から言えば庭が命!の美術館。1人2,300円の価値はある。後悔はない。素晴らしいの一言に尽きる。私が1番気に入った庭の一コマを最初に紹介する。旅行パンフレットで使われる写真は下記の通りだが、こんな庭、私の力では到底持ち得ないもの、感激はしたが全くの他所ごとでしかない。むしろ、小さく終わってしまった自分の境遇を情けなく思うばかりであった。その点、まだ、妄想レベルであっても、この庭なら視程の範囲内にいる気がしてしまった。実際にはこれすら手に及ばないことは承知している。

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次に向かったのが出雲国一宮である「熊野大社」、朱色の神橋を渡って参拝。御祭神は「スサノオノミコト」、出雲国創始者と言われる「大国主命」の祖先神で「出雲大社」の御祭神と同じ。「アマテラスオオミノカミ」を御祭神とする「伊勢神宮」に準えて、内宮を「出雲大社」、外宮を「熊野大社」としてなぞらえる考え方もある。九州で勢力を得た天孫族は、それまで勢力を誇っていた出雲族を打ち破って当時の日本の支配者になったという考え方に得心した私としては、今回のクルーズで「出雲大社」と「熊野大社」の両参りをしておきたかった。「伊勢神宮」では内宮、外宮、「出雲大社」でも権威誇示的な設計思想を感じてしまうが、この「熊野大社」ではそうした威嚇感はなく、親近感さえ覚えた。恐らくそれは、鎮座している地が稲作の盛んなこと、そして本殿傍にある「さん火殿」(屋根が茅葺、四方の壁は檜の皮)がそうさせているのだろう。

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これは、「八重垣神社」、「スサノオノミコト」は八岐大蛇から稲田姫命を助けその後夫婦となったが、その夫婦としての2人をセットで祀ったことで、良縁の神として人気急上昇中と言われている。私は、同社で閲覧できる1,100年前に描かれた壁画をこの目で見たく訪問した。

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2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)5月29日「境港公共マリーナ」2日目

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10日目:天気は回復したものの西風はまだ6m、ブローで8mぐらい吹いている。境港に来たことで往航の半分まで達したということになる。この地に3日間滞在するが、「境港公共マリーナ」で活動するMBYC(Miho Bay Yacht Club)のホスピタリティーの良いことを紹介した航海記(DONの泊地情報ブログ)をネットで読んだからだ。実際に訪れてみると確かにこれは本当で、甘えたらキリがないほど皆、ビジターに優しい。今回は整備・修理の必要はなかったが、もし必要があればMBYCのT氏が仕切ってくれる。なんでもござれの頼りになる面々の集まりであった。これに対し、マリーナ管理側はびっくりするほどの対応をする。話をするのが怖いくらいだ。恐らく、それゆえにオーナー側の対応力、団結心が高まったと推察する。

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今日は境港から再スタートを切るための再準備に費やすつもりだ。徒歩5分のところに巨大なショッピングセンター「PLANTファイブ」がある。ホームセンター、ファションセンター、食品スーパー、ヒャッキン全部をまとめたような店、なんでも揃う店と思えば良い。大量の買い物が想定されるならカゴ付きの三輪自転車をマリーナから借りると良い。(私は職員と話すのが怖いので借りなかったが、帰りの荷物が重くなり、これなら不愉快になるのを覚悟して借りとけばよかったと反省)

今晩は、MBYCの蕎麦打ち飲み会があるそうで、お誘いを受けたのでビール土産に参加するつもり。明日は10時に給油配達のローリーと待ち合わせている。夕方になって、ようやく風が落ちてきた。

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残りの1日、つまり明日は以前から気になっていた出雲系神社の参拝(1日)をする計画。先ほどレンタカーの予約を終えたが「国東マリンピア」(大分空港)のようにマリーナ渡し、返却は無理であった。明日、ここから10分(要タクシー予約)で米子空港に行き、そこで車をピックアップする事になる。

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)5月28日「境港公共マリーナ」

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9日目:予報どおり昨夜来からの南西強風の風が9時ぐらいから落ち始め、この後北東の風に変わるまでの約数時間が無風になる。安全航海のためには、早く出るのではなくじっくり待ってこの無風のタイミングに合わせて出港することに決めた。Googleマップでこの街を調べると「ガラガラ」という名前のコーヒー店があることがわかった。東京浅草で人気のコーヒー店「なにわや」オーナーがなんとこの鷺浦に移住して開業したとの事。時間調整も兼ねて出かけてみた。深煎りがうまい!ワインに例えれば上等なピノノワールの感じ。押し倒し系のカベルネとは違う。

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さらに集落歩きして驚かされたのが、「塩飽屋」という名前の住宅。瀬戸内海塩飽諸島(丸亀)の人々が作った塩をこの地に売りにきて、その際にこの家に泊まったので屋号が「塩飽屋」になったという。小さな集落ではあったが、これで北前船商流の一端が確認できた。いろいろな発見があるものだ。

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10時45分「鷺浦漁港」を出港、「港から出たところは昨日の強風と潮の向きが逆になってるので波が悪くなっちょるから気をつけな」と、朝の散歩時に海見をしていた漁師から声をかけられた。実際に出ればその通り、最初の30分間、「鷺浦漁港」入口を遠くに見るまで2mの追い波と三角波の中を走ることになった。その後は「境港」に近ずくにつれ海況が静穏(波高0.5m)になり、12時45分に「境港公共マリーナ」に到着した。

この港ではサプライズがあった。電話の応対では、ややぞんざいな感があった「境港公共マリーナ」だったが、なぜか、港内に入ると指定された桟橋には多くの人々が待ち受け、こちらに手を振っているではないか。「なんで、そんなに歓待してくれるの?これが、このマリーナの細やかなホスピタリティー?電話の感じとは大分違うなー」などと思いながら着艇作業を進めていた。「どの位、このマリーナに滞在されますか?」などと事務的な質問、こちらからは副長が「猫の世話があるんで一旦香川に戻ります」などと応対したが、「山羊の世話はどうされますか?」と聞き返してきたので「なぜ知っているのだろう?」と驚きの感情とともに質問した当人の顔をまじまじと見つめてしまった。なんと変装した「仁尾マリーナ」の僚艇「NAMIKOMACHI」のTオーナー(ご夫妻で境港の前乗り)であった。遊びもここまでやれば、一流、実に笑わせてもらった。

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マリーナの入口では砂の堆積が構造的に進むらしく、 Googleマップで見てもそれがよくわかる。入口灯台くるりと回り込んで入港する様に指示されたが、水深表示2mを切る所を通過する時はヒヤヒヤものだった。その事をマリーナのクルーザー乗りに尋ねれば、「キールゴシゴシは当たり前、入れない時もある。そのために米子に別の場所を確保している」と笑っていた。因みに、給油はホースが届かないので艇を移動させなければならない。また陸電は100V(電圧不足気味)のみ、給水は給水メーター付きのホースを借りて近くの桟橋蛇口に接続して使う。食事と風呂(コロナなので行かなかった)は歩ける範囲にあるが、自転車があればより快適であろう。観光するにはレンタカーが必要になる。

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これが、境港港、奥の宍道湖を海を結ぶ水道沿いに形成されている。干満差がない海なので岸壁と海面の高さは概ね1mぐらいでデザインされている。視覚的には陸地と海の一体感が新鮮に感じる。通過中のフェリーは次の目的地である「隠岐島」行きのもの。

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)5月27日「大社漁港」&「鷺浦漁港」

8日目:深夜からの雨がまだ降り続いている。フロントガラスにあたる雨音で6時に目が覚めた。早速、天気予報と「Windy」のチェックをすると、島根県日本海側に強風注意報、雨は午後には止み、風は現在の東3mから午後に入って南西7m(実際には10m超)になると予報されていた。昨日の予報と変わっていない。

今日の目的地である「鷺浦漁港」は陸の孤島の様なところであり、配達給油は難しいだろうと思われるため、途中「大社港」に寄港して燃料を入れなければ、次の「境港公共マリーナ」まで心許ない。本来なら「大社港」に泊り、出雲大社に参拝し、安全な出雲の夜を楽しむことだが、南西の強風予報下では港内も荒れると思って方針を変更した。まずは「大社港」を目指した。

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この「大社港」にはエネオスのGS(出雲二見)があり、事前に予約をしていたのでスムーズに誘導を受け入って右に回り込む「大社漁港」に艇を着け、配達を待った。

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その間泊地としての研究をしていたが、水深が2m、岸壁の高さが1mしかなく、いくら囲まれて安全とされてもうねりで海面が持ち上がればフェンダーが効かなくなって船底が岸壁に半ば乗り上げてしまいかねない恐れを感じた。南西の強風で海が荒れるならば、横付けではなく槍ずけが相当である。寄って今回は泊地とはせず寄港地とした。1時間後、250L(累積1,600L)を入れて満タンに戻し、「鷺浦漁港」を目指した。この漁港はヨット乗りの皆さんの人気サイト「DONの泊地情報」で運営者の西郷氏が推薦する寄港地の一つである。私も寄港して、氏の考えに同感した。

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 さて、「大社漁港」からの進路だが、「日御碕」をかわすとすぐに「鷺浦漁港」の入口を示す白い灯標が崖中腹に見え、港奥まで見通すコースで直線的に入港した。着けられる場所は入り口防波堤の先端部しかないので、そこに仮着けして地元の漁師に会えるのを待った。了承を得て本格的にもやったが、後に南西の風が強まり外海のうねりが入り始めると、「そこだと揺れるからもっと後ろにつけて良いよ」の声が再びかかり、さらに「明日は吹くから、長く置いてもいいよ」とまで言われた。この頃の特に地方の漁師の皆さん、本当に優しくなった。その漁師達によれば、ヨットはよく来るが大型のボートは珍しいとのこと。どおりで、先の「大社漁港」でもおじさんが寄ってきて「珍しい形の船やのぉ。おぉきいのぉ」とまじまじと眺めていたし、「鷺浦漁港」でも大変に言葉遣いが丁寧な少年がやってきて「こんにちは!もしよかったら船を見させてもらっていいですか?」と「うわぁ、うわぁ」と言いながら、船を見学して行った。「坊やは大きくなったら何になりたい?」と聞けば「漁師になりたい、でも親が反対なんだ」と首を垂れて話す姿にキュンとなってしまった。f:id:bentenebis:20210527140304j:plain

「鷺浦漁港」の開口部には柏島という島が入口を塞ぐ様にある。この存在が冬の季節風、波の直接的な侵入を防いでいる。冬の日本海の凄さはよく耳にするが、海に面する家は間立(マダチ)と言われる衝立てを立てて風、飛んでくる小石、砂を防いでる。冬はそれぐらいの凄さである。だからこそ、柏島は身を削ってこの漁港を守ってくれている、すなわち神格を持った島として崇敬され、今でも女人禁制だそうだ。

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f:id:bentenebis:20210527141144j:plain生活資材の調達は全くできない集落ではあるが、こんなに立派な24時間対応のトイレがある。完成してまもないと思われ 、大変に綺麗である。水は「JFしまね鷺浦荷捌所」で頼めば分けてもらえる。このトイレの前は、コミュニティバス(一日3往復)の停留所になっていて、14時37分のバスに乗って出雲大社に参ってきた。約30分でバスは「鷺浦漁港」の後ろの一山を越え、出雲大社参殿のすぐ横につく。

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今や、デフォルトとなった「出雲大社」のこの写真、私も一枚。ここもコロナ禍で人の姿はまばら、観光産業に与えている影響を各地で見続けている。

今夜は、南西10mの風が吹くようで、今もしっかりと風が吹いているが、艇を後奥に下げたことも揺れはかなり抑えられている。明日は10時ぐらいから風が落ちる予報なのでゆっくりの出港になる。