ボートで行くクルージング三昧

ホームポートを瀬戸内海(仁尾マリーナ)に移してクルージングを楽しんでます

2024年4月ショートクルーズ3日目、「仁尾マリーナ」に戻る!

 

昨日は予定していた弓削島「かみじまちょう・ゆげ海の駅」において、どうやらこの数日間続いていた濃霧(濃霧注意報発令)のため艇の滞留が起こったようであった。ボート乗りの私はこれを忖度して泊地を岩城島「かみじまちょう・いわぎ海の駅」に変更して、ヨットの皆さんのためにスペースを空けた。こんな時は、ボートはヨットと違って、機動力があるので泊地変更に容易に応じられる。

空けて翌日、午前10時、いわきじまを出港、「岩城島」、「仁尾マリーナ」間は30マイルほどの距離だが、毎回の移動時間は微妙に違う。今回はいつもより10分早い1時間で通常の1時間20分より早く「仁尾マリーナ」に到着した。80分が60分だから25%も時間短縮となった。

話はかわるが、最近アインシュタイン相対性理論に興味が湧いている。「光速度不変」、重力による「時空の歪み」というものだ。それによると、大きな質量の星があるとその周辺の時空は歪むらしい。そこを通過する光はその歪んだ空間の中を通り抜ける時、その歪んだ空間に沿って進むので、その分、その影響を得ずに直進する光よりも速度は同じでも到達に要する時間が遅れるのだそうだ。

これは海上の表面をなぞるように走る船も同じではないか? と急に思ったのである。走った時間は丁度、大潮の潮止まりの時間帯であった。つまり海面は潮汐の上がり下がりを受けず、平らだったはず。風は無風、波もない、潮流も止まっている。

航跡ログを見ると走行距離がなんと27マイル、普通は32マイルぐらいを記録するので5マイル(16%)短く走ったことになる。確かに、その時間距離なら10分だ。コースもあったであろう。今回は本船航路横断に際しても進路変更をしなくてすみ、一直線で帰ってきたことによるものであろうか? いつもホームポートに帰る日のブログコンテンツは書く内容に困ることが多い。それでそんなことを書いてみたのだが、話が飛び過ぎた。

マリーナに戻れば、ビジター艇が上架して船底を高圧洗浄していた。「仁尾マリーナ」は艇の整備スペースが広いので、瀬戸内海各所に海上係留しているヨットが整備にやってくる。今回は40f超えの大型アルミハルのヨット(トリンテラ)であった。とにかく海上係留艇は本格シーズンを前にして船底掃除とペイント作業の追われている。2つの陸置きレンタル船台、2つのスロープ式船台はフル稼働のようである。一方で、マリーナヤード担当スタッフが1人、「東京夢の島マリーナ」に急に転勤になり、そこに働き方改革も加わって常に誰かが休んでいる。マリーナ運営が大変そうだ。

 

 

2024年4月ショートクルーズ2日目、行き先を「弓削島」から「岩城島」へ変更

弓削島にある「かみじまちょう・ゆげ海の駅」のスタッフから朝電話がかかってきた。趣旨は「今日の桟橋が満床状態になっている。海背中に右側は大型ヨットで既に一杯、本日は左側に貴艇も含めて3隻着けることになるので、喫水の浅いボートは陸に近い桟橋に係留して欲しい」という内容であった。

この「陸に近い桟橋に着けて」の要請が気になり「桟橋利用は初めてではないが、その場所は引き一杯で水深2mありましたっけ?」と尋ねたところ「多分、大丈夫だと思いますよ」との返事。私の方は「多分だって?これでは困るなぁ」の思いであった。なぜなら、今日は大潮、「本当に大丈夫かなぁ」が私の心の声。

どうしても大潮(干潮)時でも水深に余裕のあるはずの桟橋の海端には着けてほしくないようだ。喫水の深いヨットのことを考えれば、当然であろうが、順番に陸側から!の一点張りは困る。「この女性担当者は、船のこと分かっていない」と即断して、これ以上の電話トークをやめた。

そこで、思いを巡らせた。「きっと大潮干潮の日でも陸近桟橋係留を35fサイズ艇に要請すると言うことは、後から来る2隻のヨットはさらに大きいのだろう。一方で出船の方は急な濃霧で待機を強いられたヨットが発生したのかも。もしかしたら、オーバーブッキングになっているのかも?」と結論づけた。

私の印象だが、「弓削島」はヨットのメッカとして超有名な「海の駅」である。故に基本はヨット優先なのであろう。ボートの立場で見ても、桟橋での給油は難しいし、前後左右をヨットに囲まれれば、疎外感を感じてしまう。さらに、私の艇の方は完全空調なので係船中(就寝中は除く)もジェネを回さねばならず、これもうるさいと煩がられる可能性がある。

もっとも最近はヨットの連中もホンダの小型発電機を桟橋に置き一晩中回しているケースの良く遭遇する。仕方がない、古い艇、小型クラスには空調がついていないケースが表中だからだ。夏になれば、それが講じて桟橋が居酒屋と化すことも多い。どっちもどっちだが、他勢に無勢では肩身が狭くなる。

そんなボート乗りの僻みも交えて諸々頭が巡った。それで、行き先を岩城島の「かみじまちょう・いわぎ海の駅」に変えることにした。当日予約に至った事情を担当者に話したところ「空いていますよ!濃霧で、ヨットの予約がキャンセルになったからです」の返事。それで行き先を変更することにした。

 

 

岩城島」と「大三島」は目と鼻の先の距離。だから天気も同様に曇り時々小雨である。時間がたっぷりあったので、雨の合間をぬっていつもなら下を通過する「岩城橋」に行ってみた。桟橋からは登り坂、往復1万2千歩、良い運動にもなった。

橋入り口の看板には「照明灯撤去」の文字があった。疑問に思い、ネットで調べたところ「17基の照明柱の内12柱の根元に亀裂が走り、現在復旧工事中」とのことであった。原因は風、強風の影響により柱が振動、その結果の疲労破壊だそうだ。いわゆる共振が起こったのであろう。

夜は、昨日の「大三島」の外食で失敗したので、今宵は「よし正」の刺身盛り合わせ、これをテイクアウトで持ち帰り船内居酒屋にした。うまい刺身✖️熱燗✖️鬼平犯科帳ビデオの組み合わせが私にとってのテッパンフォーメーションである。

 

2024年4月ショートクルーズ初日、向かうは「大三島(井口港)」しかし濃霧ひどくて待機中!



2014年4月のこの日が私の誕生日となる。もうめでたくもないが、今年で71歳、立派な高齢者の1人になったはずだが、ちっともそのような気分にならない。海上で着ているウエアが大半が若い時のセンスを引きずってこともある。しかし、洗いざらしとはいえ、古着感たっぷりである。それを着ている自分の写真を見てげんなりすることが多い。間違いなく初老の人が古着の中にいるシーンだからだ。寿命で死ぬのは仕方がないが、できれば外観の経年劣化は遅らせたいものである。

さて、今日から4月のショートクルーズに出ようと昨日艇を降ろして、ビジター桟橋に繋いでおいた。エンジン、ジェネはブルルンとご機嫌よく起動してくれ、気分は上々。そして今日、4月22日(月)の朝を迎えたわけだが、自宅前の詫間湾(HAPPY BAY)はご覧の有り様、いつもなら見える「粟島」も見えない。つまり、視程は1マイル以下ということになる。

 

予定している目的港は「大三島(井口港)」である。なんと2年前の4月21日に寄港していた。下記に過去記事を参照出来るよう貼り付けておく。

 

 

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今回は桟橋、レストランの予約もすませてある。アウエイのクルーズ中なら、こうした濃霧を前にしては、当然待機して出港は見合わせる。しかし、瀬戸内海というホームゲレンデ、この海域でのレーダー航行にも自信有り!、ということで出港時間を大いに遅らせて、自宅待機して様子見とした。

 

時間が経過するにつれて、視程が回復し始めた。この程度の視程(2マイル程度)があれば、瀬戸内海ではどこかな島影を発見できるため、仮に航海計器がダウンしても位置と方向の推測ができる。ということで、13時に「仁尾マリーナ」を出航、風が全くない、波も全くない中、順調に艇を走らせ、約30マイル先の「大三島(愛媛)」に到着した。14時10分、霧は残っていたが、航行上の問題は全くなかった。

 

 

桟橋自体も料金も全く変わりは無かった。「大三島」に艇を着けるにあたっては反対側(西側)の「みやうら海の駅」の方が圧倒的に人気が高いと聞く。ここ「いのくち海の駅」が10トンで1,021円に対し、「みやうら海の駅」は千円(施設使用料)安いということも理由であろう。収容隻数も圧倒的に「みやうら海の駅」の方が多い。

 

 

しかし、こちらサイドにはサイクリストの人気スポットとして定着した「ワッカ」があり、これを核に周辺に飲食店の新規開業が目立つ。一般論になるが、私の体験としてこの手の店の大半が新しいこともいあって、雰囲気、接客はまぁまぁでも、ちゃんとした料理人がいないことが多い。よってがっかりすることが多い。今晩の食事もそうであった。やはり、店の雰囲気は時代に取り残された昭和レトロでも、長年に亘り店を維持してきた実績のある店の方に軍配が上がる。

 

温泉施設も歩くには少し遠くなるが規模感において「みやうら海の駅」の「マーレ・グラッシア大三島」と変わらない「多々羅しまなみドーム」がある。上写真で艇の向こうに見える丸屋根ドームがそれである。

 

 

我々は絶滅危惧種かもしれない、クルーザーなら尚更かも?

2024年はホームポートである「仁尾マリーナ」の指定管理者の切り替え年にあたっていたが、ユニマットプレシャス社が継続してその業務を継続してくれることになった。まずは、ほっとしている。同社は旧日産マリンを買収して今日に至っているが、その間継承したマリーナの選択と集中を進めてきたからだ。その中にあって「仁尾マリーナ」が遠隔地であるが故に切り捨ての対象になってしまうのではないかと気になっていた。届いた新年度の請求書封筒を見る限り、価格、サービス内容に変化はないようである。

しかし、ユニマットプレシャス社の躍進ぶりはすごい。「夢の島マリーナ」の指定管理も獲得し、これで東京圏の大規模マリーナはその過半を同社が運営を担うことになったのではないか。縮小市場の中で残存者利益を追求する戦略は強いリーダーシップを持つ経営者がいなくては出来ない。合意形成に向けての根回し、そして全員一致の経営スタイルを取るサラリーマン経営者には無理であろう。

さて、春のボートショー(横浜)も終わった。往時なら各TV局の中継報道をよく目にしたが、果たして今年はどうであったのであろうか。来場者は4日間で3.5万人、この数をどう見るかだが、きっと多くはないのだろう。

それが類推できるのが、冒頭のグラフである。それによれば、1999年から2022年の23年間でプレジャーボート(クルーザー、ディンギー、モータボート)の隻数は34万から15万艇にほぼ半減しているとされている。その主たる牽引役は25f未満のモーターボートとディンギーとなっている。いずれも次の世代に繋がる入門艇クラスである。これに対して大型ボート、クルーザーヨットはこれほど減っていない。

この理由ついては、もともと数が少ないことや、艇自体の寿命が長いのでマーケット全体の動きに連動しないという解釈も成り立つ。そして、近年、肌感覚ではお目にかかる新艇は大きいサイズが多くなっているような気がする。これについては、所得の2極化を反映しているという理由がよく言われるが、果たして新たに金持ちになった高額所得層がいきなり大型艇を買うのであろうか、そう簡単に操船できるとも思えない。

最もショックだったのはプレジャーボートオーナーの平均年齢が72〜75歳という事実であった。このままいくと、日本は長寿国なので次の5年後調査ではこの平均年齢が77〜80歳となるのであろうか?あるいは下船するオーナーから次世代への譲渡が進み逆に平均年齢は下がるという考え方もある。しかし、次世代と言っても、その中に若者世代を見出すのは難しいかも知れない。

2024年春ショートクルーズ3日目、濃霧注意報の中「仁尾マリーナ」に戻る!

牛窓港」での船中泊、漁に出る漁船の引き波で朝早くに起こされることになったので出航準備を予定より早くはじめ、7時から片付けを開始。艇内整頓、水廻りの掃除もほとんど終え、すぐにも下船出来るくらいに艇内が片付いてしまった。

艇内で食べる朝食はいつも決まっている。「ハム、とろけるチーズのホットサンド」だが、このスタイルを「バオルー」とも言う様で、間に挟む中身をツナマヨにしたり、卵にしたりして飽きのこないよう工夫をしている。これをクルーズ中は判で押したように食べるのだが、出港間際に片付けに手間がかからず、便利なメニューだと思う。出来上がったらそれを半分に切り、使ったまな板はそのまま皿代わりにすることで洗い物もがひとつ減る。海況変化を考えてすぐにも出航しなくてはならない場合は、FBにコーヒーと一緒に持ち込んで操船しながら食べることになる。

このようにセットして、あとは直火にかけて、何回か開けてパンが狐色になるまでひっくり返す。

こんな感じに色がついていたら完成である。

コーヒーは多めに作って魔法瓶に移し、操船中にもしばしば飲むのだが、ヨットと違い航行中の振動がすごいので注意が必要となる。タイミングを誤るとドバッと口の中に入ってしまい、入れ立てだと火傷もどき、残量が少なくなるとコーヒーで顔を洗うことになる。実際は一旦艇を減速すれば良いのだが、減速すると再加速が面倒なので走ったままとなる。

0950、小雨降理、視界も烟(けぶ)る中、「牛窓港」を後にした。天気予報は終日の雨降り、ホーム「仁尾マリーナ」を目指す。在する三豊市には濃霧注意報が出ていた。「高見島」あたりまでの航程は視程は常に2マイルぐらい、風は「瀬戸大橋」近辺で一時10m、波1.5mの時が少しあったぐらいで、全体として北東5〜7mの追い風と波であった。よって航行にあたって、緊張を強いられる場面はなかった。

粟島、荘内半島あたりまで近づくと、濃霧注意報通りとなって、間近になるまで稜線が見えないほどの濃霧に変わった。しかし、この海域はホームゲレンデなので、霧の中からぼんやり薄い稜線を僅かに発見するだけで体感的に位置がわかる。もちろん、レーダーとGPS併用である。

そして、「荘内半島」をまわり込むため、半島の先端に近づく。この近辺には釣り船が数多く漂っているので、注意してそれらを回避しなければならない。週末なら尚更だ。しかし、なぜか今日は日曜なのに一隻もいなかった。きっと濃霧のせいだろう。

一方で冬の間に弱ってしまったバッテリー達(バウスラスタ、メイン、アクセサリ、ジェネ用バッテリ)が元気になった。2月、3月と連続して出航した結果、バッテリーの充電が十分に進んだということになる。やはり、係留状態でのアイドリング充電、あるいは桟橋ポストからの陸電による充電だけでは、一旦弱ったバッテリーには充電パワー不足なんであろう。今回からはジェネ、エンジンともにブルルンと勢いよく起動するようになった。

距離の方は「牛窓→仁尾マリーナ」、「仁尾マリーナ→小豆島(草壁港)」ともに同じ、45マイルであった。

2024年春ショートクルーズ2日目は「牛窓港(県営桟橋)」

これまで6年間、「HAPPY」とともに日本全国約150箇所近くの港を訪ねてきた。よって、今後は私のクルーズの多くが再訪問の旅になる。よくも回ったものだ。驚くのは寄港したそれぞれの港を絵に浮かべることができることだ。昨日食べた夕食メニューも中々思い出せなくなっている時があるのだから、記憶の構造は不思議である。

今日訪れた「牛窓港」は、航海ブログを見ると4年ぶりであった。

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当時はコロナ禍の最中であったが、「応援割引?」という県外旅行者向けのインセンティブプランがあって「ホテルリマーニ」に宿泊、宿泊者無料の専用桟橋につけた。それ以外の方法で、「牛窓港」に艇をつけられる泊地はなかったと思う。

滞在中は港周辺を自分で歩いて、着けられそうな場所を探す。どこの泊地でもやることだ。その時、余り使われていない県営桟橋があることを確認していた。しかし、利用のルールが分からず、「次回、あそこに着けられたら良いのになぁ」の感想を持つだけであった。

そんな思いの中、この県営桟橋が「牛窓かぜまち桟橋(ビジターバース)」として解放されていた事がわかった(2023年11月)。この際、それを実体験するため、寄港地に加えることにした。ご覧のように大変立派な桟橋である。但し、全長は40fクラスまでが無理のないところであろう。

手続きは桟橋目の前の「瀬戸内きらり館」で行った。予約もこの中にある「観光協会」が対応している。トイレは24時間のものが隣接している。水、電気はない。HPでは「3日前までに予約をしてください」がルールとなっていたが、当日でも空いていたので柔軟に対応してくれた。

「小豆島(草壁港)」から「牛窓港」までは、23マイルほどで、ボートなら一時間で着く。「牛窓港」堤防を見ながらのアプローチ中に水深2.5mの浅瀬があった。朝から小雨、霧状態であったが、視界は十分にあり安全な航海であった。

午後は小雨の中「長船刀剣博物館」、「備前焼きの美術館」見学、そして「日生(ひなせ)港」の実地調査、最後に海面係留権利つき別荘分譲で一時有名になった「レジーアマリーナ」探訪と盛りだくさんの内容である。

まずは「備前長船刀剣博物館」に行く。刀鍛冶の仕事(作り方)は、NHKの番組で見聞きしていたのであらかたの想像がついていたが、時代劇の中でよく名刀の名としてよく出る「備前長船」の刀を実際に見るのは初めてであった。「備前焼ミュージアム」は工事中で見学は叶わなかった。

その後は「レジーアマリーナ」に向かう。途中、「日生(ひなせ)港」を遠望、興味をそそる港であった。

さて肝心の「レジーアマリーナ」であるが、下記の写真をご覧いただきたい。おそらく、このマリーナは事実上破綻してしまっている?のではないだろうか。海の駅にも「おかやま・せとうち海の駅」として登録されている。しかし、このマリーナは「そうとうに寂れたヨットハーバー付きマリーナと別荘地」という説明しかできまない。宴の後という言葉がピッタリ、もったいないなぁという感じであった。何が理由でこんなになってしまったのだろう。西日本屈指の繁栄県である岡山中心部から3〜40分、至るまでの道路整備もできているのに。

上から順に、

① スタッフもおらず鍵もかかっていない、幽霊屋敷のようなクラブハウス。なぜか監視カメラだけが動いていた。

②、③ 係留されているのは大型艇が多い。しかし、余り稼働はしていないようであった。週末土曜日なのに人っこ1人いないマリーナであった。

④ 明らかに使われていない別荘群。テラスは地盤沈下で傾き、フェンスは倒れたままである。周辺は草刈り等の整備もされていない。荒野の中で見捨てられた町のイメージに重なる。専用の取り付け道路入り口には、「海面係留権利付き別荘分譲中」と書かれた大看板が設置されていたが、泥だらけでペンキもはげ落ち、寂しい限りであった。

2024年春ショートクルーズの1日目は「小豆島(草壁港)」

12時15分に「仁尾マリーナ」を「HAPPY」(PONAM−35)で出港。今回はたった2泊3日のショートクルーズだが、年寄り必定の生活備品をも含むと、それなりの持ち込み量で呆れる。いちいち列挙し無いが、例えば、薬なんか毎日飲まなくても人生において誤差の範囲なんであろうが、色々考えて持っていく事になる。薬類がそうなら、そのほかも万が一に対する警戒感から、あれやこれや積み込む事になっていく。

約50マイル先の「草壁港」、ほぼ、瀬戸内海の「東西航路」に沿って走り、2時間後の14時15分に着いた。「草壁港」の浮き桟橋利用はひさしぶりとなる。もうかれこれ5回目の「小豆島」寄港になるが、多くは「ベイリゾート小豆島」の専用桟橋を利用していた。理由は最上階の展望温泉風呂が気に入っていたからである。今はリニューアル中で休館日が多い。

よって、今回は「ベイリゾート小豆島」ではなく、この「草壁港」浮き桟橋(海の駅)に艇を着け、ワンナイトすることにした。この桟橋に立ち寄ったのが今から5年前、当時あった「桟橋食堂」は、切り盛りしていたおばちゃんの高齢化により店じまいしていた。でも予約の電話は同じでつながった。小豆島を代表する「草壁港」、その海の駅となるこの桟橋の管理は同じおばちゃんが続けていた。

お会いして「おばちゃん、桟橋食堂を綺麗にしているようだが、近々店をリニューアルオープンするの?」の問いに「雨漏りが始まったので屋根の修理、外壁の整備だよ、店はやめたよ」の返事。そんな会話をしながら係船手続きを旧食堂内で済ませた。係船料金は¥2,450、価格の変化はない。

「まだ、僕の艇の名刺、壁にあるかなぁ」と思って、店内の壁に貼られたたくさんの古い名刺に目をやりながら、探し始めた。なんといきなり「仁尾マリーナ」の僚艇「ピスターリ」の名刺が目に飛び込んできた。新しい名刺は少ないので目立つ。そこで写真をパチリ。後で送っておこう。

さて、5年ぶりの「小豆島(草壁港)」だが、我々ロングクルーズ組にとって1番の変化は下記写真のコインランドリーの誕生。桟橋から見える距離。(配達燃料は看板のコスモ)これは大変に助かる。あとは歩ける近いところに日帰り温泉施設があればいうこと無し。

入港時気になったのは「草壁港浮き桟橋」に並んで存在している豪華なこの施設(下記写真)であった。「誰の物?、高級ホテル?」と 配達給油のスタッフに尋ねたところ、企業の研修施設だとか、「研修施設になんでこんなに立派な浮き桟橋あるの?」と重ねて聞いたが、「実際には個人の別荘らしく、研修施設としてはほとんど使われていないと思う」との回答。すごいなぁ。

実は今日は副長の誕生日であった。知らんぷりしてサプライズと、忘れたフリをしていた。よって通常の船内ディナーはやめて外食を選択した。本来は高級イタリアンとすべきだろうが、このタイプの店は皆高台にある。結局、水平移動が叶う焼肉「道草」を選んだ。

上記の写真を見れば、この店「道草」がどの味のレベルにあるか容易に想像がつくと思う。さすが、地元焼肉1番評価の店だけあった。

明日は、雨の予報、予約してある「牛窓港」(県営桟橋、牛窓かぜまち桟橋)に向かう予定。そこを起点に、「備前長船刀剣博物館」、「備前陶芸美術館」に行くつもり。

2024年冬ショートクルーズの2日目は、3年ぶりの「今治」

 

懸案のジェネレータ起動は専用バッテリーへの充電が昨日の航海でかなり進んだようで、一発で起動した。これで、ジェネレータ稼働による各バッテリー(スラスター、メイン、アクセサリー、ジェネレータ用)への充電が問題なく進んでいることが確認できたと思う。残るは帰港して陸電ケーブルを繋ぎ、その状態で充電器(24V、12V用)の性能を確認してオールクリアして一連の充電問題がクリアとなる。冬場は温度低下と出港頻度が下がる事もあり、何かとバッテリー問題が起こる。やはりアイドリング回転ぐらいでは充電がなかなか進まないのであろう。

さて、今日の「岩城島」は早朝から雨降りが続き、自転車を使っての島観光は諦めた。しかし、朝食作りから始まり、島内の「Aコープ」に足りないものを買いに行ったり、給油したり、名物の芋菓子(芋けんぴ)を求めに行ったりしたので、気がついたら午後になっていた。

13時、「岩城島」を出港、14マイル先の「今治港」を目指した。途中の視程が悪く、レーダー画面と目視を繰り返しながら、本船航路を横断した。ご承知のように今治港沖は「来島海峡」を通過する東西航路の本船が集中する海域なので、視程が良くても気を抜けない場所である。信号等表示は、「S、↓、✖️」であった。南流、潮速低下中、間も無く転流の意味である。

雨の勢いが強まる中、14時に今治港内にある「いまばり海の駅」に接岸した(浮き桟橋)。たった14マイルの距離であったが、視界がかなり悪かったため、いつもの巡航25ノットではなく、20ノットで走航したため時間が余計にかかった。着ける場所は浮き桟橋の海側先端になる。同桟橋の陸側が通船の給油場所になっているからである。

 

目の前にある一見鯨を模したように見える「みなと交流センター」1階の事務所にて係船料¥1,034を払って手続きを完了。気が付けば16時近くになっていた。その頃には雨も止み始めてきた。詳しい港情報については過去訪問時の記事を読んでほしい。

夜は焼肉「阿部商店」に出かけた。若者向きで、いわゆる焼肉店のしつらえではないが、大変にコスパの良い店であった。若者向けだけに、焼肉店にもかかわらずご飯類、ラーメン類の品揃えが豊富で満腹になること必定であったので、おすすめしておく。ただし、シニア層のヨットマンがグループで入店したらお店側、他のお客様に「なぜ?」と訝しがられることになる。しかし、今治で焼肉ならぜひ!

 

明日は31マイル先の「仁尾マリーナ」に戻る予定である。

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2024年冬ショートクルーズ1日目は、吉例の瀬戸内海「岩城島」

今年(2024年)は能登半島を襲った大地震津波で始まった。実は今年の春夏クルーズは新潟の「佐渡島」往復を計画していたため能登半島の泊地研究をかなりしていた。災害報道でTVに映る映像を見て、これは無理だなと思っていた。滝港、能登富来港、輪島港、狼煙港、飯田港、七尾港、富山新港、皆寄港は難しいだろう。

さて今年口開けの冬の瀬戸内海ショートクルーズは、やはり「岩城島」になってしまった。昨年も2度訪れ、延べにすると両手に近い回数となる。初日の出港が家の片付けや食料、飲料等の事前の買い出しもあって午後時間になるので、27マイル先の「岩城島」が丁度良いのである。桟橋での給油も受けられる。

この島を訪れる時期としては冬の季節風の合間、それも晴れの日が1番良い。海の水はものすごく綺麗、南に開いた港なんで北西の風に強い。見渡せば訪れる観光客は少なく、ヨット、ボートの寄港もないので浮桟橋の前日予約も可能、電動自転車のレンタルは当日で叶う。明日は、初めてになるが電動自転車で島内一周観光をするつもりであるが、天気予報はあいにくの雨。

この「Limone Plaza」の中の売店で、電動自転車の予約ができる。冬の平常日なら全てのタイプの自転車から好きなものを選べる。係船手続きは、その奥の支所で行うが、休日は裏通用口の宿直職員とやりとりすることになる。

綺麗な夕日が西に沈みつつある。落ちゆく夕日を見て「西方浄土」に思いを馳せるようになったのは、いつの頃からだったであろう。そんな思いでこの写真を撮った。

岩城島」に来る最大の誘因は目の前の居酒屋「よし正」デコの刺身を食べることにある。採れたての魚、普通なら歯応えが1番に来るのだが、なぜか旨みが勝るのである。不思議だ。

 

2023年秋ショートクルーズ「伯方島(有津港)」

生口島」の「瀬戸田港」から「伯方島」の「有津港」を目指した。「鼻栗瀬戸」に入り「大三島橋」(満潮海面高26m)を通過、次に左に転舵して、そのまま「伯方・大島大橋」を通過して「船折瀬戸」に向かった。この瀬戸のコースは東西どちらからアプローチするにしても、潮流の凄さを見聞できる。瀬戸内海クルーズの一つのハイライトになる。有名な「村上水軍」が海の関所として位置付け、縄張りにしていた場所でもある。

「有津港」はその「船折瀬戸」に面した漁港である。途中に赤く塗られた「船折瀬戸灯台」があるので目印になる。その向かいに白く塗られた「有津港堤防灯台」があり、その灯台を左に見て入港する。港の入り口は広く空いており、近づけば赤く塗られたタラップで結ばれた浮き桟橋が見えて来る。入り口側のサイドが開放されている。

利用にあたっては事前に「伯方島伯方支所住民サービス課」に連絡を取った方が良い。何しろ一隻でいっぱいの小さな浮き桟橋だからだ。応対は実に親切である。係船料は35fで42円、係の人が集金に来てくれる。

しかし、泊地としては一切の利便性(水、電気、燃料、トイレ)はない。歩いていける食事先は、お好み焼き「たんぽぽ」のみである。しかし、ここのお好み焼きは大変に美味しいと思っている。この感慨は私だけではなさそうだ。島住民のテイクアウトがすごい。なので店前の駐車場は取りにくる軽トラで、店内より賑わっている。

もし、島巡りの途中に、美味しいケーキを食べたいなら同じくその隣のおしゃれな雰囲気の「玉屋」がおすすめだが、ヨットマン、ボートマンの中には前者に該当する人はいても後者は少ないと思う。行けばお客層を見て明らかに場違い感を味わったので、そそくさとテイクアウトして帰ってきた。