ボートで行くクルージング三昧

ホームポートを瀬戸内海(仁尾マリーナ)に移してクルージングを楽しんでます

強風波浪下ステイ3日間、それでももう1度行きたい。「小浜港」泊地の3泊4日を総括!(2024年春夏クルーズ36日目)

もし小浜港の観光桟橋が従来通り使えていれば、「小浜港」は復航の最大ハイライトになったなったはずである。ビジターに解放されている「観光桟橋」が使えたらと今も思う。滞在中の3日間は毎日強風波浪下であったが、ここが使えればもっとゆっくり、積極的に楽しめたはずだからである。

小浜温泉雲仙温泉」での宿泊も加えてみたかった。実際には心許ない旧桟橋(鉄台船型)に艇をつなぎ、南の強風(10〜15m)うねり波でもみくちゃにされながら、艇の安全を測るため3日間船中泊に耐えた。何回も起きてタラップと浮き桟橋の位置関係をチェックした。10トンの「HAPPY」を繋いだ桟橋が走錨したらどうしようという懸念が頭から離れなかった。干潮時の水深が2m、数メートル先は小型漁船の昇降スロープ、うねりが入れば瞬間2mを切る事もあった浮き桟橋であった。ボートは最も深い喫水が船尾だが、ヨットはそうはいかない。ヨットは止めてはいけないと思う。今でも思い起こすとドキドキする。桟橋台船は相当古く、海水の入り込みもあって少々傾いている。しかし、設置チェーンが桟橋の見た目より、堅固であってよかった。

▪️泊地としての「小浜温泉」は九州屈指のレベル

小浜温泉」は歴史のある温泉町なので、いろいろなタイプの宿があった。目立ったのは旅館での「素泊まり客歓迎」表示の多さであった。昔なら嫌われた客層のはずなのに…が最初の印象。素泊まりが歓迎されるならば、私たちは助かる。船中泊は非日常でもちろん楽しいが、艇が揺れないことが条件となる。そんな時、旅館に入って湯に浸かり、食事はお仕着せの旅館飯ではなく、地場の居酒屋に行って自分ペースでメニューを選び、時間を気にせず楽しみたいと思う。そして、翌朝にもう一度温泉に入り、艇に点検兼ねて戻ってコンビニのサンドイッチモーニング、その後に観光に出たければ滞在型クルーズがより楽しくなる。

ここ小浜温泉では「島鉄バスターミナル」利用で30分でひんやりとした雲仙に上がることができる。もちろん「雲仙温泉」にも宿をとって楽し無のも良いが、あの桟橋では安心して艇を離れられなかった。こうして書いているだけで、また行きたくなる。

この観光桟橋だったら良かったのにと思って何度も見てしまった。実際に立ち入り禁止看板ギリギリまで立ち入った。外見的には着けても大丈夫そうであった。構造は立坑型の浮き桟橋だから南から(右の港入り口から)の風波がやってきても桟橋は岸に寄らず、干潮時の水深も十分ありそうであった。

これが、少々難儀したどこどきの旧桟橋。台船を浮かべて前後2本ずつの太めチェーンで固定したもの。大きなうねりが入ると海中のチェーンが伸びて前後に動く、タラップの動きでその移動幅を確認していたが、海側のチェーンが重く垂れ込んで前後左右の振幅は想定より少なかった。

長々と書いてしまったが、「小浜港」を泊地にする場合、奥に写っている「観光桟橋」が使えないなら寄港を諦めた方が良いというのが私の総括となる。もちろんベタ凪時なら問題ないが、ここはビジターが使うことは禁止されている。私の場合は熱中症で静養が必要ということで無理を言って止めさせてもらった。ヨットの係船はやめた方がよいと思う。

観光桟橋の修理が想定以上に遅れてしまい、私の申し出にやむなく応じてもらった。全ては自己責任だと思っている。「小浜温泉」での泊地は最初に指定された「岸壁」もここ「旧浮き桟橋」もお勧めしない。

 

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所詮は南に開いた「橘湾」の南奥に位置する「小浜港」なので、全ての南からの波を集めた状態にここではなりやすい。「観光桟橋」が台風時の南風による高波で壊れてしまった所以でもある。

今日の目的地は「長崎サンセットマリーナ」、距離は40マイル、風と雨はすっかり収まっていたが、うねりはすぐには収まらない。最大2m、時に2.5mの時もあったが、FB操船なので目線的には予見が効いて怖くはなかったが、キャビン内操船なら突然目の前に波の壁が立ち上がりり、空が見えたらいきなりドスンという着水にもなりかねない。FR32(ヤマハ一軸、漁船タイプ)で通過した「下田爪木崎」を思い出した。

野母崎」を回航するまでは、高いうねりに向かっての進路であったが、交わせば横もしくは追い波状態、サクサク走って「軍艦島」の写真も艇を大きく減速して撮影するほど海況は落ち着いてきた。

「小浜港」を出て2時間後の12時05分に、今や第二のホームポートともなってきた「長崎サンセットマリーナ」に入った。馴染みとなったスタッフからは「ここもこの3日間、特に昨日はすごかった。今日も野母崎あたりのうねりは太かったでしょう」と言われた。

平日なので「HAPPY」にとって一番条件の良い桟橋(陸電200V、十分な桟橋長)に着けることができた。今日からは積み込んである食材とにらめっこしながらの生活となる。

それにしてもNYOC旗の存在が頼もしい。走行中は降ろしているものの、旗の消耗は激しい。ちぎれたクラブ旗も味があって良いという人もいたが、私は旧陸軍の軍旗みたいであまり好きでない。残る旗はあと5枚、今年いっぱいは持つだろうが2025年は旗が尽きてしまう。何か考えねばならないと思っている。そうでないと黄色の金比羅旗に取って代わられてしまう。