「阿鉄」を錨泊地にして、今日で3日目になる。Windyによれば「大島海峡」では終日南西8mの風が吹いているようだが、ここでは、殆ど風がない。そして波が全く立たない。極めて静穏が保たれている。昨晩は「阿鉄」のT氏宅に招待され、久しぶりに畳の上で寝た。「酒宴の後は艇に戻ります」と事前に申し上げたが、「テンダーを着けている浮桟橋近辺の夜はハブに噛まれやすいですよ」と言われびっくり、改めてここはハブの島である事を自覚した次第。それで一夜お世話になることにしたのである。明けて朝は、「HAPPY」に戻っていつもの簡単な朝食(ホットサンド&コーヒー)、その後はT氏宅の目の前にある海に続く階段にテンダーをつけて、快適に水を運んだ。「阿鉄」では水、トイレはT氏の離れのものを使わせていただくしかない。
「古仁屋」までは、行きはコミニティバス(400円)、帰りはタクシー(2100円)が便利。もちろんバス便もあるが、なぜか「古仁屋」→「阿鉄」は1日2便しかないのでよく算段する必要がある。
「奄美大島」に来て、先の大戦の戦争遺跡がかなりのリアリティーを担保して残されていることに驚いた。その殆どが、島の南部に集中しているが、これは沖縄陥落後の連合軍北進を阻むために急ぎ作られたものであろう。この写真は「大島海峡」東入路を見晴らす崖に造られた旧陸軍の監視所跡である。島内に配置された大砲の弾着指揮を行うためである。
実際に中にも入れる。殆どそのままの形で残っており、75年前にはここに陸軍将兵が交代で詰め、双眼鏡を除いていたのである。その姿、声が聞こえてくるようであった。
生憎の曇り空ではあったが、快晴で青い空、青い海であったなら、これほどまでの心境にならなかったであろう。
これは、昨日の「加計呂麻島」泊地研究で行った「呑之浦」に配備された特攻艇「震洋」の格納庫(艇はレプリカ)である。海辺に配置されそのまま海に引き摺り出して特攻するシステムとなっていた(満潮であれば数メートル先が海)。「大島海峡」は奄美大島側も加計呂麻島側も超リアス式海岸となっており、その入江に隠れるように配備されたという。乗組員は特攻隊員として志願した航空兵の乗る飛行機がなくなり、その代わりに「震洋」乗組員に振り向けられた。67馬力のトヨタ製自動車エンジンを搭載して、巡航16ノット、特攻速度23ノットと書かれていたが、そう言えば「HAPPY」もトヨタ製エンジン、何やらPONAM-35が「震洋」に重なって身震いをしてしまった。