ボートで行くクルージング三昧

ホームポートを瀬戸内海(仁尾マリーナ)に移してクルージングを楽しんでます

2018年夏クルーズ(長崎往復)壱岐島 一支(壱岐)国を観光する

8月9日。私は一時期、日本史の中で弥生~奈良時代に猛烈に興味を持ったことがある。日本の記述が書かれた資料として初めて現れるのが魏志倭人伝。今の韓国から邪馬台国に至る行程が書かれているわけだが、その中にある「一支国」が今の「壱岐」であることは立証されている。だから一支国をこの目で巡り、見たかったのだ。


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一支国」の王都は,現「原の辻」にあることも立証されている。その地を当時の環濠集落そのままに再現しようとしているのがこの場所。写真ではその広大さは表現できていないが、壱岐という島の内部にこんなにも広大な平野が存在していることに驚いた。この平野の広さは、長崎県最大だそうである。なぜできたのか、それは山麓から湧き出た水が集まり合流する場所だからそうで、ここから一つの川になって海に流れて行く。逆を言えば、内地であっても外に開いている土地なのだ。弥生、奈良時代の飛鳥の都にそっくり。だから、奈良同様稲作に適しているわけで王都の条件を満たしている…。韓国に近いので鉄器農具の導入も早かったと書かれていた。さぞかし豊かな王都であったことであろう。また、初めて環濠集落とはどう言うものだったのかをこの目で見、体感するができた。
 
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更にその嬉しさは「一支国博物館」を訪れて倍増した。8年前に出来た博物館だそうで、黒川紀章設計、全てにストーリーがある中での陳列、いやプレゼンテーション、そして発掘物の再生保存の仕事場まで案内経路の中に組み込んであるには恐れ入った。ボランティアのガイドさんを頼んだが、この女性の説明も素晴らしかった。もう一度行きたいくらいである。
 
下の写真の「丸木船の上に波除板をつけた小舟」で、韓国→対馬壱岐→九州と渡って来たんだそうだ。次の写真は発掘された「土器で煮炊きする際の可搬型支脚」、弥生の人々の生活がイメージできる。
 
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次は恒例の係船可能港チェック。実は壱岐島にはれっきとした海の駅「湯がっぱ」がある。それが下の写真。壱岐北西にある湯の本温泉ど真ん中、湯の本湾の奥地に位置しているが、温泉も宿も「海の駅」も皆さんひっそりしている。海の駅が稼働しているかも疑わしい。しかし許されるなら、入港して舫いたい場所ではあった。初めてならやはり郷ノ浦しかないか……。
 
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