ボートで行くクルージング三昧

ホームポートを瀬戸内海(仁尾マリーナ)に移してクルージングを楽しんでます

2022年春クルーズ(奄美大島)-18日目「名瀬港」②

奄美大島」は梅雨の最中にある。昨晩中降り続いた雨のおかげで艇体に着いた塩が綺麗に洗い流された。今日の予報も90%の雨確率であったが、朝の空を見上げると青空もところどころに見えてきて、どうやら雨は降らずにすみそうだ。昨日予約していたレンタカー(軽自動車)をピックアップするため、「ビッグマリン奄美」まで歩いたが、その途中で見つけた赤い花(ハイビスカスと思われる)が、あまりに南国風なので撮ってみた。

ビジター艇に解放されている「長浜港」は、実は「名瀬市」の中心街からかなり離れており、徒歩で市街に向かうにはかなり遠い。人口4万の市なので、飲み屋、食事処、ビジネスホテルなどの集積はかなりある。パチンコ屋も多い。幸い「長浜港」の岸壁は相当広く、空きスペースもいっぱいある。その上、係船している場所は、全て市の管理地区なので駐車禁止の取り締まりにはならない場所である。つまり、自艇横にレンタカーを置いての生活ができるのである。車レンタル料は12時間借りて¥3,850なので安い。その機動力を生かして、最も良い場所で買い物、最も新しいコインランドリーで洗濯、水場からの運搬、そして土産品の購入を効率よく行うことができた。余った時間を使って観光に充てた。「名瀬港」は奄美大島の北部にあり、ここを起点に観光する場合は、北部の「龍郷町」(大島紬の発祥地で有名)地域がメインになる。

先ず最初に「奄美市奄美博物館」(上写真と「龍郷町生涯学習センター」を訪れて、この島について勉強した。青い海それしか知らないのである。学んだことは「薩摩藩の財務基盤を支えるため、サトウキビから作られる黒糖生産を奴隷的扱いの中で強いられていたのが奄美大島」。そして、国土返還イコール沖縄返還と言う理解は間違いで、この「奄美大島」も戦後米軍の統治下にあったことであった。「西郷隆盛井伊直弼主導の江戸幕府から守るため、彼を死亡したとして奄美大島に隠した」という話は大河ドラマ「セコドン」で知っていたが、その彼が上陸したのが「龍郷町」であった。

この店について言及していきたい。「奄美大島」最大のスーパーである。ホームセンター兼お土産品販売店兼スーパーであるので、観光客と島の人が一緒に空間を共有している。ここで、昨晩居酒屋で飲んで気に入った黒糖焼酎、土産用の黒糖菓子を買い込んだ。もともと、焼酎は黒糖由来のものが好きだが、それは「三岳」(屋久島)しか知らなかったレベル。奄美大島にはいろいろな酒造メーカーがつくる黒糖焼酎があることを初めて知った。因みに、この島では焼酎とは黒糖焼酎のことを指す。

次に向かったのが、「田中一村記念美術館」、彼はこの地で終焉し、生きている間はほとんど日の目を見なかった画家であると記されていた。残念ながら、私の心をとらえた作品は一点しかなかったが、それ以上にこの美術館の建築物としての素晴らしさに目を奪われてしまった。思わず「建築家は誰ですか?」と尋ねたぐらいである。展示作品は奄美大島古来の高倉をモチーフした建屋の中に収蔵されている。その建屋外観の意匠、内部のトップライト仕様での間接照明システムも秀逸、そして人工池を取り囲むように設けられた完全バリアフリーの導線設計。それらを心地よい形でコンパクトにまとめてある。何よりもすごいのは、「田中一村」と競うことをしない建築家の存在である。今度家を建てるならなどと、馬鹿げた妄想をして美術館を後にした。もちろん、そんな余力はない。

最後にご愛嬌になってしまうが、「ビッグマリン奄美」内にあった記念コーナー。私が小学校の時、TV、ラジオからよく流れていたのが、三沢あけみの歌う「島ブルース」。これがこの地に来るまでの私にとっての「奄美大島」の全てであった。