ボートで行くクルージング三昧

ホームポートを瀬戸内海(仁尾マリーナ)に移してクルージングを楽しんでます

2018年夏クルーズ(長崎往復)@平戸 改めてキリスト教伝来を学ぶ

8月6日、博多を目指すN氏(ACTRESSⅢ)は上々の海況の中、博多に向け出港していった。
いつも見て思うことは、岡崎造船の船は見てて飽きない。時代時代の価値観、ライフスタイルを反映したはやりの線形が、輸入艇を中心に華々しくデビューするが、同社の艇にはそれがない。さしずめ箱型のスカイラインか、ケンとメリーのスカイラインか…

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さて、私にとっては、この長崎、そして平戸延べ5日間の滞在で期せずして、日本におけるキリスト教伝来の歴史を学ぶ旅ともなった。鎖国政策の結果、キリスト教が禁教となって様々な弾圧を受けたぐらいしか知らなかったが、今回の長崎、平戸滞在でキリスト教に関する歴史のパズルの駒が、ようやく頭の中で絵になってきたのである。

平戸観光桟橋をスタートする定期観光ミニバス(観光協会で予約、千円)に乗り込み「平戸の聖地と集落」を巡った。このミニバスにはボランティアのガイドさんが乗ってくれている。三時間の旅であったが、丸山(平戸に到着したポルトガル船などの乗組員などが楽しむ施設があった場所で、平戸が閉鎖されのち長崎に移った。地名はそのまま、丸山=遊郭)、鄭成功の生誕地、生月大橋、島の博物館「島の館」では隠れキリシタンの生活、春日の集落(棚田)では迫害の中にあって稲作に向かない山間地での生きるがための棚田開発、その苦難を目の当たりにした。

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長崎での施設(大浦天主堂)のキリスト伝来説明は弾圧→殉教の流れに力点が置かれていた印象を得たが、平戸(生月島町博物館、島のの館)では隠れキリシタンの人々による土着化した「隠れキリシタン教」の実態を知ることができた.伴天連追放令以降、神父不在で数百年、独自の行動様式で継承されたその姿は、私にはキリスト教を起源とする土着型新興宗教に見えた。