ボートで行くクルージング三昧

ホームポートを瀬戸内海(仁尾マリーナ)に移してクルージングを楽しんでます

「志々島」は映画「寅次郎の縁談」のロケ地です

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マリーナに行って見ると、僚艇K氏が「志々島」に向けて出港したとの話を聞く。この島は「男はつらいよ 寅次郎の縁談」(1993年公開の46作目)のロケ地。「男はつらいよ」全シリーズに中で私の最も好きな作品である。満男(吉岡秀隆)が就職活動が上手くいかず、やけになって父である博(前田吟)と大喧嘩して夜汽車に飛び込み、行き着いた先が瀬戸内海に浮かぶ「琴島」であった。実際には、この「志々島」とすぐ近くの「高見島」の2カ所で撮影して「琴島」に仕上げてある。映像のつなぎ方が大変巧みで、本当に1つの島に見える。寅さんがさくらに頼まれて満男を迎えに行くため、フェリーに乗って上陸する桟橋も、満男が寅さんに発見される堤防も、島の診療所も、そして診療所に船でやってくる若い看護婦と満男が歩き、語りあった場所もほぼそのまま残っている。

そんな「志々島」だが、工事中の桟橋がこの程完成した。これにあわせて島内唯一のカフェ「くすくす」もリニューアル、2018年の大雨で崩れた「利益院」の法面も補修され防水青テントも取り払われたと、地元スーパー「ピカソ」で偶然会った島在住のY御夫妻から聞いてもいたので早速、桟橋にいた仲間も誘って行く事にした

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「志々島」は「仁尾マリーナ」からは、荘内半島(三崎半島)を交わしてボートなら25ノットで約45分程度のところにある。港は1つしかなく、面する詫間湾は西側を庄内半島に北側を粟島に挟まれているため、海面に立つ波はいつも小さい。よって、かつては水上機飛行艇で構成される詫間海軍航空隊の海上滑走路でもあった。今は瀬戸内海を走る本船の台風避難錨地として利用され、台風接近となると連合艦隊集結の様相をなす。

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到着して、あまりの立派さに驚いた。住人はたった20人、訪れる観光客もそれほどでもないのにこんな本格的な桟橋。島としては何十年も簡易桟橋で我慢したのだから、当然といえば当然かもしれない。この桟橋の反対側はフェリーが着くので空けておく必要がある。(1日5便くらい)

天気の良い日に頂上にある樹齢千年大楠を見がてら島ウオーキング、このぐらいの時間なら問題なく利用できる。

f:id:bentenebis:20201017173001j:plain海上タクシーが着いている手前の桟橋が今までの簡易桟橋。これを何十年も使ってきたが、最近は老化がひどくなっていたと聞く。寅さんが満男を迎えにフェリーで上陸した桟橋でもある。その向こうが新しく完成した桟橋で、水深は干潮時で3.5mあった。50fのサイズでも着けられる桟橋長だが、水深面で大型ヨットはギリギリであろう。

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干潮時の港内の様子。江戸時代の終わり頃から「金のなる島」とも呼ばれ、約千人の人々がこの島に住んでいたそうだ。その時代海運、漁業で活況を呈したと聞くが、今は空き家と廃屋だらけの寂しい島になっている。護岸工事はなされているが、砂が溜まり中に入るのやめたほうが良い。

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ここも「両墓制」の島。写真は埋め墓の様子。かつてはこの場所に土葬し、当面の目印としてこの様な手作りミニ掘立小屋を置いた。この家を観光パンフでは死者の家と紹介していたが、うまいネーミングと思う。大きさが皆ミニサイズなのでガリバー旅行記の小人の国を思い浮かべ、保存整備に力を入れればもっと可愛く見えるだろう。昔の「土葬埋葬地」と聞いてびっくりした思い出がある。石塔のような恒久構造物を置かないのは、共同埋葬地なので、特定の家で特定の場所を占有しないという暗黙のルールがあったからだと言われている。お参りする時は山の中腹にある「利益院」に別途設けた墓(詣り墓)で菩提を弔う。

唯一のカフェ「くすくす」は桟橋から徒歩3分の所、看板が出ているのですぐわかる。行ってみたが、やはり鍵がかかっていた。残念!