ボートで行くクルージング三昧

ホームポートを瀬戸内海(仁尾マリーナ)に移してクルージングを楽しんでます

2018年秋クルーズ(厳島神社往復)@仁尾マリーナ 前線通過で西風強風、出港見送りました

10月9日朝起きたら、快晴、弱風。頭に出港できたかもしれないと言う思いがよぎったが,「Windy」で確認すれば、10mの西風が燧灘の真ん中まで来ている。やはり、昨日の判断は正しかったと、得心して急遽、地元荘内半島の神社探訪に切り替えた。

私は寺よりも神社の方を好むので、クルーズ中折があれば寄港地周辺の神社をよく訪ねている。いつも、出港準備か片付けで追われてしまっているので、お膝元の仁尾(仁尾マリーナ)、詫間(私のアパート)周辺の神社巡りをしたことがなかった。

イメージ 1

瀬戸内海は古代以来、畿内と九州、さらには朝鮮半島、中国大陸を結ぶ日本の大に動脈。中世になると一層活発になって、讃岐の沿岸各所、島々に港町が発達したと教科書にも書かれている。その当時の経済力を反映する形で、多くの神社仏閣が軒を連ねていたと思われる。

上写真は荘内半島で最も由緒ある「波打八幡」である。東側の詫間市にある。調べてみると九州の「宇佐神宮」を京都の「石清水八幡」に遷座する途中、海上波浪のため詫間の浦に寄ったことが起源のようだ(859年という記録が残っているらしい)今年の夏クルーズで「宇佐八幡」をたずねているので、何やらつながった感がある。八幡さんが宇佐八幡→波打八幡→石清水八幡→鎌倉八幡と東進した訳だ。

イメージ 2

これは仁尾にある「賀茂神社」。東側の代表格が「波打八幡」とすれば、これにに対して、西側の代表格となろう。調べれば約900年前、この地域が京都の賀茂社(下賀茂、上賀茂神社)の御厨になった事を機会に、招聘したようである。以来、この地の人々は、同神社の神人と自覚し、主に海産物を京都賀茂社に献上していたと言う。