ボートで行くクルージング三昧

ホームポートを瀬戸内海(仁尾マリーナ)に移してクルージングを楽しんでます

2023年初夏クルーズ、「平戸港」2日目は休息!

朝、反対側に着けていたヨット(ハルベルラッシー、海坂)のオーナーとは2度目の邂逅、お互いにこれまで行った泊地情報を交換してしばしの時間を過ごした。聞けば、78歳、退職金でヨットを買ってからヨットに乗り始めたという。「80歳、いや自分でセールを上げられなくなったら引退する」には驚いた。その中で「シングルならスラスター付きで50fが上限、特に国内をちょこちょこ回るなら尚更、そのサイズになれば発電機が別に積める。理想はそれ」に納得した。

次の目的地は呼子。「呼子の泊地として台場の湯前の岸壁はダメ、その奥の赤い通船桟橋の海側が着けられる」という情報には驚いた。実は私も「呼子」寄港の際に行った泊地探索で、次の係船場所として注目していたので、やはりそうかと思った(下の写真)。彼は今日ここに着ける予定だそうだ。呼子は静穏さえ確保できれば、「台場の湯」もあって悪い泊地ではない。

さて、私の方は海況的には次の泊地目指して出港もあり得たが、これまで強風波浪、強風注意報、そして雨降りの中、緊張を強いられる航海を繰り返してきたこともあって、「今日は一日休息!」と決めた。もう一日のステイとした。そして、改めて「平戸港」泊地の魅力を確認するべく、紹介記事を書いておくことにする。

これが、ビジターに開放されている浮き桟橋の横からの全景。屋根がついているので何かと過ごしやすい。現在「HAPPY」がついている側と反対側も着けられる。ただし、事前の予約はできない。ここがいっぱいの場合は、さらに奥にある浮き桟橋も利用可能。しかし、便利なのは、水、トイレ、電気(100V)のアクセス面で断然この場所が良い。

桟橋から港奥の写真(上)だが、左奥に漁船が着いている浮き桟橋が利用できる。その右横に見える青い看板が「ニューポート石油」で配達給油に対応してくれる。しかし、ボートの場合はこの桟橋には軽トラが入らないので艇の移動が必要になる。ヨットであればポリタン給油ならこの場所でも大丈夫。その右に見える黒の2階建ての黒い木造が美味い魚を刺身にしてくれる「永島鮮魚店」で、そのから突き当たりにローカルスーパー「メルカド」が見える。コインランドリーはすぐ見つかる。

「平戸港」の歴史を理解する為には、この「オランダ商館」を訪れると良い。館内の展示を要約すると、最初が「遣唐使船」の時代の泊地の一つ、空海も立ち寄ったとか、次に倭寇の拠点の一つ、次は「王直」(中国人海商人)に連れてこられたポルトガルの拠点、その後が三浦按針(オランダ人リーフデ号で平戸到着)を端緒に「オランダ商館」時代、そして平戸に変わって長崎出島に交易ポイントが移って平戸の時代が歴史から消えて行くという流れだそうだ。

その担い手が有名な「東インド会社」だが、当時は希望峰とマゼラン海峡に挟まれたインド洋と太平洋を東インド海域と呼んでいたそうである。そして、「東インド会社」は日本語名でしかなく正式には「先駆的諸会社」(VOC)という名称だそうだ、その「V」は今の「Venture」に通じるのであろう。英語なら「Venture of  the Company」なんであろうか。

「VOC」! 社名も果たした役割も好きである。

 

2023年初夏クルーズ、やっぱり「平戸港」は良い泊地!

今朝は実に珍しい事に朝から青空、青空と平戸城のこのショット、これまでに何度となく写真に収めたが、今日は一段とキレが良い。長らくの雨で空気中のホコリがなくなり、今日の風は南西10m、空気が澄んでいるのであろう。

実は、今日も「宇久島フィッシャリーナ」泊を予定していたが、珍しく朝から青空、たまには青い空と雲を見ながら初夏クルーズに相応しい、走りをしたくなった。なにしろ、6月30日から快晴率ゼロ%であった。

海況の見通しは、南西8m、最大12m、天気は晴れで強風注意報となってた。泊地から双眼鏡で海を見渡せば、白波も見えず、波当たりは最初が前、途中が横、そして最後が後ろから、波高は1〜1.5mとの見通しを固めた。これなら「Go!」である。

8時45分、「宇久島フィッシャリーナ」(S印)を出港して、事前の仮説通りの海況の中を走ることになった。仮説通りの海況だと安心感が増してくる。距離は32マイル、海上は常時白波が多見される状況だったが、1時間30分で走り切り、10時15分に「平戸港」(G印)に着いた。

減速して港内に入れば、今度は今までの追い風が向かい風、8m、「まぁまぁ吹いているな」と思って、桟橋を見ると風上側にはすでにヨット(ハルベル34)が着いており、空いているのは風下側、「あらら!」と思ったが、「小値賀島(笛吹港)」での経験のおかげで余裕の着岸ができた。試練は人を育てるの例え通りである。

何をいまさらと諸氏は笑うだろうが、私が体得した1人操船で風下側(離しの風)着けのポイントを披露しておきたい。

①バウ、スターン両方いっぺんに舫うことに拘らない。

②無闇に桟橋に飛び移らず、まずは一本を操船しながら仮に舫ってのち、艇のエンジン使って桟橋に寄せ、それから、桟橋に移って残りをもやう事。

五島列島」のいずれの寄港地にも日帰り温泉、もしくは貰い湯ができる施設、宿ホテルは発見できなかった。「平戸港」には15時から使える「旗松亭」の展望風呂があり、久しぶりに湯に体を沈める事ができた。ここからだと、全体がよく見渡せ、それぞれの位置関係がわかりやすい。

因みに、「旗松亭」の展望風呂を桟橋から見上げるとこんな感じである。

2023年初夏クルーズ、強風波浪3日目「小値賀島(笛吹港)」そして安全泊地「宇久島」へ!

今日は「若松港(S印)」を6時15分に出港して、「小値賀島(G印)」を目指すことにした。強風波浪警報は3日目、今日以降も南西風が依然強い。この先どこで缶詰になるやもしれない。そう思って少しでも距離を稼ごう思ったからである。

距離にして22マイル、1時間15分の航程を走り切り、無事に「小値賀島(笛吹港)」に着ける事が出来たが、私はこの判断は誤りだったと反省している。「若松島」で時を待つか、南西の風をまともに食らう「五島列島」西側海域ではなく、往航と同じ東側海域を航行するべきだった。

まず、波の高さである。予想より高い理由は海上で納得したのだったが、後の祭り、出てしまった以上しょうがない。波高をこれまでの「五島列島」東側海域の航海での経験値で予想していたのである。しかし、「若松瀬戸」を出てから「小値賀島」までは、その逆(西側)となる。波の勢い、風の勢いが大いに違っていた。追い波はわかっていたが、高さは時に2mを超え、波頭が一部崩れるものも散見された。昨年の「奄美大島クルーズ」(名瀬→古仁屋、向かい波3m)と比べれば、さしたる怖さはなかったが、自分の想定を超えてしまったという意味でダメであった。

次が、「小値賀島(笛吹港)」の到着時間と潮汐の関係を忘れていた事である。出発地の海況、都合で出港時間を決めてしまい、その1時間半後の「笛吹港」(岸壁利用)の状況をシュミレートするのを忘れていた。実際には大潮の干潮時間と重なり、想定していた岸壁に南西7m、雨降りの中で強行接岸するのは無理であった。まず登れない、降りれない。


唯一良かったのは事前に漁船専用の公共桟橋の一時的利用を想定していた事であった。状況は述べたとおりだったが、プランBがあったので狼狽する事なく定点維持スイッチに切り替え、大雨と風の中、びしょびしょになって大型、中型フェンダーを十分にぶら下げた。その後艇を浮桟橋に平行に接近させ、あとは艇が風で桟橋に押し付けられるのを待ち、余裕で舫を結んだ。風が強いので艇は桟橋に押し当てられた格好になり、舫ロープを固定するのは楽だった。


しかし、これを目ざとく見つけた、漁師がわざわざ雨の中飛んできて、「ここは荷揚げ、給油、氷積み込みに使う桟橋、着けてはダメだ」と言い立ててきた。「ではどこへ?」と聞けば岸壁を指さす。「わかりました、風が落ちたら移動します」と、その場を収めたが、心の中は、航行中漁船は一隻も見なかった、この強風波浪の中誰が漁に出ているんだ、出るんだと言う気持ちであった。


その後、漁協にいつもの手土産持参で挨拶に行ったが、帰ってきた返事は「確かに漁師の言うとおりだが、このシケで誰も漁に出ていない、反対側につけてくれるならいいですよ」で一件落着した。その後、雨の合間を縫って泊地研究に出かけたが、どうも最初の印象が悪かったせいか、給油以外で泊地として評価できるものは何もないと思った。トイレは遠く、汚かった。何を見ても好印象とはならない。この港にあのような漁師に気遣いながら滞在を続けるのは嫌だなと思い始めた。

16時、風がパタっと止んだ。「Windy」上では相変わらずの南西8m表示であったが、天気予報では強風波浪警報が解除され、漁船もちらほら出港している。港も開口部先に見えていた白波も消えている。よし、「勝手のわかっている宇久島フィッシャリーナに逃げ込もう。あそこなら避航泊地として大丈夫、ここみたいに漁師に怯えることもない」と判断して異例の16時出港をした。

S印の「小値賀島」からG印の「宇久島」までは10マイルも無いので30分で着きました。「さあ、ここなら漁師に気兼ねなく何日でも避難籠城ができるぞ、水は桟橋に来ているし、トイレは近い、買い物、給油も便利」と思わずほくそ笑んでしまった。

想定通りの、そしていつも通りの「宇久島フィッシャリーナ」ポンツーン。

 

2023年初夏クルーズ、3時間の風低下を生かして福江港」出港!

朝5時半、「福江港」の朝は艇体に当たる雨音で目が覚めるほどの大雨、おまけに雷鳴まで加わってまるで列車通過時のガード下にいるようだった。「やっぱり今日の出港は無理かなぁ」と思って一時は諦めた。傍らのスマホを取り出し天気予報をチェックしたところ、すでに強風波浪注意報が出ていて、新幹線も広島・小倉間で運転見合わせとか…。しかし「Windy」をチェックすると、南風が9時から11時まで南西4mに低下する予測となっていた。

「よし、若松港までは1時間以内、この風低下の時間帯を使って「福江港」を出港して10時までに若松港に言ってしまおう。あそこなら何があってもここよりましだ!」と心に決めた。

そうなれば、ガバッと起きて朝のルーティンをすませ、朝食もしっかり食べて大雨の中ではあったが、カッパを着て出港準備を完了させた。あとは本当に風が落ちるかである。そのタイミングを待った。

見渡せば小型の通船もいつも通りに出発していた。そこで「福江島フェリーターミナル」の発券窓口の職員に「本日の欠航便はありますか?」と聞けば「全便通常運行ですので欠航便はないです」の返事。それを聞いて「明日はもっと吹いて余裕の10m越え、今日強風波浪警報だけど、ここは行くしかない!」となったのである。


艇に掲げているクラブ旗が垂れ下がり、「Windy」予報通りに風が落ち始めたことを確認できたので、8時15分、土砂降りの「福江港」を出港、9時に無事「若松港」に入った。入港時は雨は降っておらず、日差しも時々出るほどだった。たった17マイルの違いで随分と変わるものだ。

途中、追い波1〜1.5mの中25ktで走行していたら、突然ドスンと何かにぶつかった。その後は振動ばかりで艇速が上がらず状態、あと2時間後には10mの風が待っているので一瞬不安がよぎったが、走行状態から2機両方に何かが絡まったわけではないことはすぐにわかった。最悪、片方のエンジンだけで「若松瀬戸」に入れば、あとは波もなくなんとかなるだろうと自分に言い聞かせた。

直ちに運を天に任せて、後進することしばし、そして前進、外れた。でもこういう時、2機掛けエンジンは良い。2機のペラいっぺんに何かが絡むというリスクは小さい。これは新たな発見となった。

今回何度も潜(くぐ)った「若松大橋」を見てほっと、そして桟橋へ直行。「おや、空きスぺースがないぞ」と思ったら、通船の職員が「HAPPY」を覚えてくれていて「福江の方雨すごかったでしょう」などと言って係船位置を指示、そして誘導してくれた。

しかし、前回この桟橋でもやいロープに足が絡まって転んだ際に、思いっきり打った左肋骨の痛みは、「ロキソニン」湿布をもう7枚使ってもまだ取れていない。咳も思いっきりはできない。今、これが1番のストレス。

最後に、「五島列島」で一番の避難泊地はどこですか?と尋ねられたら、私は迷わずここ「若松港」と答えたい。水、トイレ、食材調達、燃料、うまそうな割烹居酒屋、そして郵便局もあるので少々の現金引き出しも可能。皆5分の徒歩圏内である。誰ですか?温泉はないの?と聞く人は??そんなことを聞くとバチが当たる。

2023年初夏クルーズ、五島列島「福江港(福江島)」、遣唐使が最後に見る日本だった!

今日も朝から小雨、今日も強風波浪注意報が出ている。これで2日連続、この調子だと明日もそうなるだろう。到着した昨日の束の間の晴れ間を使って復航のための諸準備もを一気に整え、さらに、コインランドリー洗濯も済ませた。これでいつでも出港できる。

今回は全航程ソロ、万事つつがなく往航を完了することができた。訪れる予定の泊地を調べ、実際に着ける時にはデジャブ(既視感)感に襲われる程であった。

往航ゴール地の目安とした「福江島」に無事到着したので、打ち上げの1人宴会しようと思い、僚艇が2週間前に行って気に入ったという居酒屋(「こんねこんね」)を予約した。居酒屋訪問が新たなストレスの機会と成らぬようにとの思いからであった。行ってみれば、料理良し!酒良し!距離良し(桟橋5分)!、そして1人でも歓迎してくれる雰囲気もあって更に良し!とても良い店であった。

実は海況が良ければ、「福江島」でもう少し足を伸ばして「荒川港」(2019年に寄港)に入る計画を立てていたが、こう毎日強風波浪警報が出ていては、無理も出来ないと諦めた。そこで、観光バス(コース途中に荒川港通過)に乗っての陸路観光ツアーを決めた。

写真の「大瀬崎」は海の難所で有名な所で、かつ「福江島」を代表する観光名所だが、この岬を「HAPPY」で、明日どすんどすんと叩かれながら「荒川港」目指して回航している様を想像して、怖気が走った。やめて正解!と思いながら、小雨降る強い風に傘をさすことも出来ず、瞬間吹き抜けるブローの隙間時間を待ってようやくこの写真を撮った。

今日は一日観光に費やし、大いに「五島列島」と遣唐使船のつながりを知った。彼らが唐に向かう経路は、最初は北路(陸路メイン)、新羅の台頭後は南路(海路メイン)となった。その南路(海路)とは、北九州の「名護屋」から「宇久島」に向かい、そこからギリギリまで五島列島を伝って「福江島」から東シナ海を一気に渡海するコースであった。五島列島遣唐使が往路では最後に見る日本、復路では最初に見る日本となったのようである。だから、空海が最初に開いた真言宗の寺(大宝寺)が「福江島」にある理由もわかる。空海は命からがらこの「福江島」にたどり着いたのだという。

艇に戻って来週からの海況チェックをするべく「Windy」研究をしたところ、最大瞬間風速は12mと同じだが、午前中の時間別経緯を見ると9時〜11時の間が南6mに下がる予想に変わっていた。南西風であれば復航コースでは追い風、追い波、波も途中までは「福江島」の影となって2mにはならないであろう。そんな判断から、明日は予定通り出港して復航を開始してみようかと思い始めている。

まずは往航でも泊地として使った「若松島」を目指し、海況次第ではもう一日「若松港」にとどまり、海況の安全を確認後一気に「小値賀島」まで行くコースを考えた。計画にあった「青方港」は下見の結果、岸壁が高すぎ1人では危険と考えパスすることにした。

2023年初夏クルーズ、五島列島「福江港(福江島)」、港内喧騒の泊地!

今朝は早朝6時10分に「若松港」を出港して、往航の折り返し場所となる福江港福江島)を目指した。天気は曇り、「若松瀬戸」を昨日とは逆に走り、沖に出てから南に転進、「福江港」まで一直線のコースをとったが、重い雨雲が垂れ下がり海上は暗く、さらに濃霧の様相となった。遠くに見つけた本船が航海灯をつけていたので、こちらも点灯して走った。

こんなに早くに出港したのは昨日から吹いている南風が、10時を境に10mを超し最大13mになるという予報だったからである。ヨットにとっては絶好の風であろうが、半滑走のボートにとっては艇速も無闇に落せず、結果向かい風、向かい波の中を叩かれながら走り続けるのはできれば避けたいといつも思っている。従いそれより前の時間に余裕を持って「福江港」に到着しておこうと考えた。たった17マイル、海面自体は静穏でしたから25ktキープで50分とかからなかった。

小雨降る中、この公共桟橋に着けた。離発着するフェリーの数が圧倒的に多い。ただ、皆港内では減速しているので、キャビン内に居続けることは十分可能。目の前を減速せずに行き交う「尾道」、「出島」と比べたら可愛いものである。ただし、夜になればフェリーも来ないので静かな泊地となる。

この場所は「五島市港湾管理事務所」に事前に予約をすれば使える。目の前が巡視艇の係船場所になってるようで、巡視艇がいれば「臨時検査」の可能性が大といったところ。

今回は2日間ここに滞在する予定。いつもの泊地探索を行い水、トイレはここから見えるコンクリー打ちっぱなしのアート系のトイレが24時間、目の前の「福江港フェリーターミナル」利用なら朝6時から20時まで使えることを確認。燃料は桟橋から見えるENEOSが配達給油に応じてくれ、400Lを入れたが価格は免税で151円、「有川港」の157円よりは安かったのが意外であった。

強風に備え、いつもより丁寧にもやいを取り、フェンダーを増やし、入港手続き、配達給油の受け入れ等を済ませている間に天気が回復、日差しが出てきた。そして風も上がってきはじめ、10時30分に強風波浪警報となった。

このクルーズでは「ジェネレータの塩水もれ」、「バッテリーの電圧不足によるジェネレータ起動不安」が発生し、「ハウステンボスマリーナ」にて一応の修理を終え、以降これらに着いては問題なし状態を続けている。

しかし、今度は200V ACの電圧低下を表示してマリンエアコンが頻繁に停止するという不具合が発生。「ハウステンボスマリーナ」サービス職員、「仁尾マリーナ」O職員総出で対応したが、原因がわからず、見切りで出港している。

同時に2台以上稼働させると電圧低下を意味する「 AC LO」表示によるエアコン自動停止が起こらないのだが、一台のみの稼働であれば4分で「 AC LO」表示が出て停止してしまう。停止しても再起動すればご機嫌に冷やしてくれる。よって個別のエアコン本体は元気なのだと思っている。

一方、キャビンの AC電圧計は常に260V、針一つぶれない。テスター計測もそれを裏付けている。それなのになんで「 AC  LO」の表示なんであろう。3台のエアコン共通項は電源と、海水ポンプ、それ以外は別個のシステム。ジェネレータ問題発生以降なんで、私はそのつながり濃厚だと思っている。



2023年初夏クルーズ、五島列島「若松港(若松島)」

「鯛ノ浦」を7時45分にでる長崎行きの高速双胴船を追いかけるようにして出港した。次の目的地「若松港」は一泊しかしないので、早めに着いて色々泊地探索したかったからである。

 

たった17マイル、45分の移動であった。(S印が鯛ノ浦港、G印が若松港)2019年の五島列島クルーズでは「奈良尾港」に着け「若松瀬戸」を通過して「荒川港」に向かったが、今回はヨットマンの間でも評判の良い「若松港」を訪ねる事にしたのである。泊地としては「有川港」(利便)と「鯛ノ浦」(静穏)それぞれの魅力を足して2で割ったようなところであった。

この写真は「若松大橋」、隣の「中通島」とを結ぶ橋で「若松島」への来島者が増えることが多いに期待されたが、実際は大いに島の若者が出ていってしまったと言う。「橋で無闇に繋がない方が良い、つながっていない方が島の価値が守れる」という意見にも頷くところがある。

午後からは完全な夏日となり、陽射しよけの大きな帽子をかぶって泊地探検をしてきた。まず、水、トイレはフェリー待合所、深夜しまっていれば公園にもトイレがある。燃料はENEOSが近くにある。食料調達なら小型店舗型の「Aコープ」があった。一通りここで間に合う。飲食のできる店は数件あったが、長かったコロナ禍によるダメージからか営業していないか、大幅縮小(ランチ弁当販売のみ)していた。従い、この地でも1人居酒屋体験は無理なようである。

 

2023年初夏クルーズ、五島列島「鯛ノ浦(中通島)2日目」雨止む見通し

今日、7月5日も朝から雨降り、時折シャワーのような雨にもなる。着けている「鯛ノ浦港」桟橋には乗船客のために待合室から続く屋根があるので、ゴミ出し、トイレ等で外に出ても濡れない作りになっている。雨が上がるのは14時以降と予報され、海上には依然雷・強風・波浪・高波注意報が出されている。

そんな中、某ヨット販売業者の社長から電話があり、趣旨は「2年前に下見した60fが再び売りに出され、当社で再び扱っている。その時買ったオーナーがかなり資金を投じてセール、エンジン等を新調、内装もリニューアルに近い!どう?」という内容。電話を終えてしばし、この大型ヨットでのクルージングを妄想していた。

確かに大型ヨットでのクルージングは私の若い頃からの夢であったが、クルー調整の煩わしさを避けるためにボートによるクルージングを選択、7年間、35fの小さなボート(PONAM-35)を使ってのクルージングスタイル、すなわち怖い海上はさっさと移動、寄港地ではゆっくり過ごすというスタイルにすっかり馴染んしまったようだ。よって、大型ヨットでのクルーズを思い描いてもかつての高揚感が起こらない。でも未練はある!この行ったり来たり、一言で片付けるなら「年をとった!」ということだと思う。

さて、そろそろ雨が止みそうだ、時々日差しが入るようになって来た。早速原付スクーターを借りて来週、立ち寄る予定の「青方港」の下見に行くことにした。なぜなら、この港で使用許可の出た場所は岸壁だったからである。原付で僅かに20分の距離だった。

下写真の白い漁船の前が「青方港」内でプレジャー艇用に開放されている場所。この写真を撮った時間は丁度干潮で西風(港出口から真っ直ぐ入る風向)が10mあった。この港は西風に意外と弱いと思って漁師に話し掛けると「東もダメだ。今度は港の奥から海に抜ける」という言葉が返ってきた。グーグルで見ると中々の良港との印象を持ったが、シングルハンドで強風の下、岸壁着けはできれば避けたいのである。

いずれにしても干潮時この高さでは1人で飛び上がるのは無理だろう。実際にその場所に行って干潮時の着岸をイメージしたが、仮に上がっても今度は容易に艇に戻れない。階段の所で着けるとなると、間隔が意外に広くフェンダーが瞬間外れてハルを傷つける事態になりかねないであろうと判断した。よって、帰りの「青方港」立ち寄りは満潮時間を見計らってのアプローチをしようと決めた。

艇に戻って「青方港」寄港予定日の潮汐を調べたところ、日中(14〜15時)に満潮が一回あることがわかり、ほっとしている所である。

合わせてグーグルで見つけた公共の浮桟橋も訪ねたが、あいにく沖合の石油備蓄施設専用で周囲の人にも尋ねたが、プレジャー艇が着いているのは見たことがないとの返事、交渉の余地はないであろう。



2023年初夏クルーズ、五島列島「鯛ノ浦(中通島)」は、まことに静かな泊地!

2023年7月4日(火)、朝7時のNHKニュースはこのところ、九州地区に発生する「線状降水帯」の被害と警戒のニュースが冒頭を飾っている。梅雨明けに向かっての最後の雨降り、これが開ければ強い強い夏の日光が待っている。「ハウステンボス」入りしてから約1週間、毎日が雨、もしくは曇り、強い日差しは時たまである。しかしその勢いは強く、雨に濡れた雑巾、足拭きマットは立ち所に乾いてしまう。日差しが出れば「炎天は嫌だなぁ」と思う年齢になってから、夏はオフシーズンになってしまった。

さて、本日の泊地は同じ「中通島」にある「鯛ノ浦」となる。荒天の際の避港先候補をグーグルマップで探していた時に偶然見つけた先である。東に開口部があるが、それ以外はきりたった山に囲まれている深浦であった。さらに、最近「上五島海の駅」の認定を受けたそうである。ということで、着けてみたのが上記の写真。

この立派な桟橋には一日2便、長崎とを結ぶ高速船が着く。片道100分、乗務員に聞いたらこの港でも台風で南東の風の時は高潮と合わせてこの待合所まで海水が打ち寄せたという。

漁師用にも別途立派な浮桟橋があり、地元漁船の荷揚げと重なることもない。トイレ、水、そして利用手続きもこの待合施設で済ますことになる。

S印が「有川港」、G印が「鯛ノ浦港」、距離は海上でこそ17マイル、45分の距離だが、山越の陸路なら数キロ、15分くらいの距離であろう。下の写真は桟橋目の前の「三角島」に設けられた「鯛ノ浦神社」。

明日は海上南西10mの予報なので、勿論出港しないつもりだが、利用手続き時にレンタルスクーターの存在を知ったので、この際、これを借りてしばしのライダー気分を味わってみたいと思っている。

五島列島「有川港」2日目、深夜早朝大荒れるも泊地安全!

深夜から早朝にかけて、南風8m、雨のレベルも南国のスコール、艇体にあたる雨音で目が覚めるほどであった。五島列島周遊クルーズ中は泊地に2日滞在で計画を立てているので、今日も「有川港」(浮桟橋①)に艇を繋げている。観光は前回にレンタカーを借りて十分にしているので、泊地としての「有川港」調査を続ける。

朝食後、一時的に小雨になったのを見計らって「コインランドリー」に出向いた。行ってみれば、そこは世の中全体のコインランドリーが内外装、装置ともにレベルアップする中にあって、取り残された感のある場所であった。(両替機はなく行く前に百円玉20枚を確保しておく必要がある)

ここで思わぬ遭遇をした。野良の子猫との出会いである。約1時間の逢瀬であったが、思わず連れて帰ろうかと思った。

次が配達給油である。日曜日が定休日なので本日、ENEOS(江浜石油店)に電話したところ雨のなかわざわざ下見にきてくれた。桟橋に渡り艇の横まで軽トラローリーが入ることをお互いに確認、給油は雨止みのタイミングで改めて連絡をとることにした。14時ようやく雨も上がり、青空も覗けるまでなった。350Lを入れて満タンに戻したが、軽油価格はこれまで一番高かった「対馬厳原港)を超えて、¥157/L(免税)であった。

最後に居酒屋である。港の周りには飲食を提供すると思われる店が多々あったが、あまりやっている店は少ない。実は第2ステージも単独航となってしまい飲食店への足がすっかり遠のいてしまっている。お一人様でも迷惑をかけない、居心地の良い店を五島列島クルーズの間にどこかで見つけたいと思っている。上記写真の左端「満(みつ)」が良いとはGSのおじさんの弁。偶然だが、青空とこの繁華街(夜の街)との対比が面白かった。

もし、浮桟橋利用をしないのであれば、この岸壁につけることになる。干満差が激しいので乗り降りは大変なことになる。給油もここになるが、その場合満潮時間を見計らうことになる。

 

明日は「鯛の浦」に向かう。