ボートで行くクルージング三昧

ホームポートを瀬戸内海(仁尾マリーナ)に移してクルージングを楽しんでます

「生口島」(瀬戸田港)に初めて寄港しました!

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生口島」では、瀬戸田港のフェリー桟橋に艇をつけることができる。ただし、海の駅ではないため、管理窓口を担っているNPO 法人「せとだ港房」に連絡しておいたほうが良い。今日は4連休の初日のため、先着している艇ではパーティ真っ盛りであった。

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「桟橋の一番端につけて、フェリーの邪魔にならないように」が予約時の指示であったが、先着艇がいて端に着けられず、どうしたものかと水路で様子を見ていた。しばらくすると、桟橋管理の人が出て来てくれたので、近づいたところ「予約されているHAPPY艇ですね」聞かれ、「そうです」と答えるとこの位置(写真参照)での係船を許可してくれた。

この桟橋は瀬戸田水道の中にあり、潮流の流れがその時々で変わる。それも早い。よって、風同様潮流の向きも気にして接岸する必要が有る。前後に船がついている時は、尚更気を付けないと接触してしまう。フェリー桟橋なのでプレジャー艇に対する陸電、水道施設はないが、トイレについては旅客用の待合室があるので利用できる。日帰り温泉的なものは無かったが、付近の旅館で「もらい湯」を頼めるかもしれない。

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「上関室津」では昨晩18時頃から雷を伴う雨になったが、朝には雨は止んでいて、天気は曇り、気温も28度ととても過ごしやすい日となった。けれども瀬戸内海特有の濃い海霧が発生しており、出港(9時10分)してから1時間は、時に視程が50mぐらいしかない場所もあった。レーダーがなければ勿論危険な航行となる。こういう時は、なるべく本船航路を走るようにしているが、その理由は、レーダーに映りづらい小型漁船が本船航路内では漁をしていないので比較的安心なためである。よってさしたる減速はせず25ノットで走り、11時50分に「生口島」(瀬戸田港)に到着。約60マイルを2時間40分で走った事になる。

以下の写真にコースを示したが、来島海峡西端入り口まで全て本船航路を選択している。視程については、屋代島沖以降は霧もなくなり大きく改善している。

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 観光面だが「生口島」で訪ねたかった所は、平山郁夫美術館、耕三寺、向上寺三重塔である。先ず訪れた平山郁夫美術館だが、なかなか良かった。

f:id:bentenebis:20200723153923j:plainこれまでの3日間は平日ということもあり、「3密」とは無縁の旅であったが、本日は4連休の初日、しかもGo toキャンペーン2日目、流石にしまなみ海道では観光客が多く、それも県外ナンバーの車が大いに目立った。(とは言っても、例年の観光客人数に比べれば少ないものだとは思うが…)。平山郁夫氏はこの瀬戸田の出身であり、地元のボランティアガイド氏?の説明によれば、「自宅のあった鎌倉で、納めていた所得税が年間3億、亡くなった時に相続財産の一部として手元現金だけで3億円、この美術館の建設費として使った金が10億円」との事で金の事ばかり話す。とにかく経済的にも平山氏は大変に成功した人のようである。

 その次に訪れたのが、耕三寺だが、これはかなり品の悪いものであった。それも平山郁夫美術館を巡った後なので、醜悪にも感じた。まるで、道教のお寺?横浜の関帝廟の様?中華街の様でもある。彩色がゴチャゴチャ、寺と言うよりテーマパークと言ったほうが良い。調べたら、大阪で財を成した耕三寺耕三氏が亡き母の菩提を弔うために建立したと言う。よって無檀家寺院、だからテーマパーク化して永劫の収入確保を狙ったのだろう。実際かなり賑わっていた。

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最後に国宝の向上寺三重塔に行こうと思ったが、歩いて行くにはなかなか距離と高低差があったため、下から見上げて観光を終えることにした。もし行くなら、元気のあるうちに行った方が良い。その後、少し艇内で休息をとり、地元の居酒屋「街路樹」に向かった。

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店主によれば、この店の客はほぼ地元の人々で、観光客はほとんど来ないと言う。逆に「こんな崩れそうな店の外観を見て、よく素通りしませんでしたね」と返答され、答えに窮してしまった。19時までは生ビール350円、料理もそこそこ、NYOCのT氏好みの店、そういえば何故か近所に沢山、スナック、バーがあり、彼にとっては天国みたいな場所だろうなぁ。と、そんな気分で艇に戻った。

夜はフェリーの最終便も出ており、昼とは違い桟橋は曳き波も来ず静かなものである。尚、この瀬戸田水道では通過する船は一切減速しないので、その曳き波による揺れは尾道水道クラスの相当なもの、当たりはガツンと来る。

 

 

 

「上関室津」到着、新しい桟橋の噂は本当でした!

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倉橋島」を出たのが9時、本日は曇り空。気温もフライブリッジで34度と昨日までの炎天下(42度)とは変わって快適にスタートできた。柱島→大畠瀬戸(大島大橋)→柳井市沖→「上関室津」と走って10時30分に「上関室津」に到着した。約40マイルの航程は前日の「今治」→「倉橋島」と大差なく、移動時間を2時間と想定したが、波風は全く無く、曇空、その上、潮具合も良く、想定より30分も早く着いてしまった。

「上関室津」では岸壁着岸を想定していたので、伸び梯子と大型フェンダーも持ち込んで備えていた。実際干満差はかなり大きく、岸壁着岸だと昇り降りは階段の場所を狙って艇を着けないと乗り降りが難しくなる。けれども、ちょうど入港時に、港入り口で着岸場所に見当をつけるべく待機していた所、赤灯標下に港内護岸工事にあたる警戒船があり、その乗組員が現れて、示唆してくれたのが上写真の桟橋である。近づいて見てみると、どう見てもピカピカ、どうやらできたばっかりのようだ。ただし、まだ残されている工事があるらしく、これを設置した県は外に向けて告知していない状況にあると地元の人に聞いた。しかし、仁尾マリーナで同じ船仲間のK氏から、「上関室津には、新しい桟橋ができているのではないか?」との事前に情報を聞いていたのだが、彼の耳の早さにびっくりしている。

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これが、「大島大橋」。高さは30mと橋桁に表示されていた。この橋桁に約1年前、江田島港を目指す2万5千トンの貨物船が激突したそうだ。貨物船には、40mのレーダーマスト、35mのクレーンが付いており、大いに破損したらしい。もちろん橋は30mの高さであるため、橋に通されていた水道管、ケーブル等も破壊されてしまった。実際に西から入るとこの大橋に遭遇するのは北上して右にほぼ直角に転舵した直後になる。そこから橋下通過までは幅が狭く、浅瀬、岩が点在しており、大きな図体ではどうしようもなかったであろう。

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早速、この桟橋に仮止めをして、給油を受けた。350L給油し再び満タンに戻した。免税で81円/Lと安い。クルージング中はこの岸壁ローリー車給油スタイルが一番安いようである。恒例の貰い水も配達してくれた「清水石油」が気持ち良く応じてくれた。

この後、目の前の道の駅を訪れた。設備の大きさはそれ程大きくはないが、船中食しても十分な質と量の食材調達ができる。私は昼食に寿司を食したが安くて(6貫380円、特にイカ)美味かった。

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 今回の「Go toクルーズ」では、全て初めて尽くしの停泊地を狙っているので、「上関室津」も当然初めての寄港となる。ここに来た第一の目的は天然温泉「鳩子の湯」に行く事であった。

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その前に、廻船問屋の店舗兼接待施設として明治時代に建設された「四階楼」にも行ってみた。事前に想像していたより4階建てにしては高さが低く(現在の3階建の高さ相当)、当時の日本人の平均身長からこの天井高でも十分な豪華さを演出できたのであろう。

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さて、その「鳩子の湯」だが、これが想像以上に素晴らしかった。湯質は「倉橋島」の倉橋温泉と似ているが、これを提供するハードウェアの完成度が素晴らしかった。「上関室津」に再度来るとすればこの「鳩子の湯」は最大の理由になる。名物は鳩子の天ぷらと称する薩摩揚げだが、なかなかの美味であったため、ご近所土産として買い求めることにした。ただ、なぜ「鳩子」という名前が多用されるのか、まだわかっていない。

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浴室からは、目の前をこのように本船が通過するのを正面ガラスいっぱいに見ることができる。気持ち良い湯に浸かりながら、本船の行き来を見ることがこんなに楽しいとは・・・。とても気に入ってしまった。
 

「くらはし海の駅」に初めて寄港しました!

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「くらはし海の駅」に係船中のHAPPY。本日朝に見たテレビの天気予報では、愛媛県は昨日に続いて猛暑になると報じていた。出発地の「いまばり海の駅」桟橋でも朝から炎天モードであった。

夏のクルーズでのシャワー利用は、起きて1回、観光から戻って1回と1日合計2回は利用するため、静水の減りがなかなか速い。そこで、出港前にはできる限りポリタンで貰い水を行なっている。ポリタンとはいっても20Lフルに入れるので持てばかなり重くなる。そのため折りたたみのキャリーを使って運んでいる。毎回平均2〜3回は水道のある場所を往復して満タン(170L)に戻しているが、このぐらいであれば、管理者に断れば、気持ち良く許して貰えることが殆どで、今治も例外では無かった。

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今治港」から「倉橋島」へは、約40マイル、2時間ほどの距離と見た。来島海峡を通過し、鹿島大橋をくぐって、桂浜の公共桟橋(海から見て左側のみ開放されている)に着けるコースを想定し、その情報を航海計器である「レイマリン」にセットした。

9時に出港、10時45分に着岸したが、途中の海況は波風無く完全にフラットであった。25ノットをキープして走行した。天気は「倉橋島」に近づくにつれ、徐々に曇り空に変化し、島到着時には、雨がぱらつき少し涼しさも感じることができた。ラッキーと小躍りした何、この島には色々と巡りたい場所があり、歩くには曇りの方が都合が良いのである。しかし、実際に歩き始めると、すぐに快晴に戻ってしまった。これで、4日間連続して炎天下である。1日ぐらい雨になってほしいものだ。

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観光面で最初に訪ねたのが「長門造船歴史館」。私は律令制度がほぼ整うまでの日本の歴史が好きだ。律令制度の導入に重要な役割を果たした遣隋使、遣唐使が中国本土に渡る時に使用した、いわゆる「遣唐使船」の原寸船を是非とも見たいと以前から思っていた。

ここ「長門造船歴史館」に原寸復元船が展示されているのである。思ったよりも艇体はしっかりと作られており、これが渡海中に波浪で壊れてしまうのか?と瞬間思った。しかし推進力は、帆とはいうが竹で編んだパネル板を横板のように上から垂らしているだけで、帆柱に掲げても追手にしか通用しないしだろうし、ガンネル(側舷)から張り出した井桁の上に立って人が櫓で漕いでも、いかにも頼りないので、波に揉まれるだけ揉まれてしまったのであろうと思った。上部甲板に設けられた神社みたいな船室、船倉も覗いたが、シャワーもないわけで汗の匂いがさぞかし充満していたに違いない。殆ど漂流に近い航海であっただろうと想像した。

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次に、国の重要文化財の「桂浜神社」を訪れた。「祭神は当初、海人の神宗像三女神であったが、後に宇佐八幡宮から三神を勧請して…」などと書かれている所は、ホームポートである「仁尾マリーナ」近くの「波打八幡」、更には石清水八幡宮、鎌倉八幡宮とそれぞれ時代こそ違うが、同じスタイル。続けて、夜外食の下見も兼ねて集落を歩いたが、パッとした店はない。さあ、どこにしようか?なんて選ぶことはできそうもない。ここまで歩いて汗でぐっしょりになったので、一旦船に引き上げて、17時まで休憩することにした。

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少し休憩の後、3つ目の訪問場所、「桂浜温泉館」に行った。600円でなかなかの設備充実。温泉は透明な弱アルカリの湯で温度がそれほど熱くなく、私にとっては快適な時間となった。でも、地元の人のコミュニティの場でもあるらしく、風呂場がとにかく喧しい。露天もあるが、ここはさらに喧しかった。

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夕飯を食べる店をどうしようかと思っていたのだが、見た目が喫茶店の「かず」という店に入ることにした。この雰囲気は昔の珈琲館を思い出す。私も歳をとったものだ。 この店は、40年ここで喫茶店&寿司屋&うどん屋をやっているとの事(この壁の向こうはなんと寿司屋の作り)。この喫茶店で、定食やら、寿司やら刺身やら、様々なメニューが提供されている。一時は綺麗なおねいさんが3人もいて、1万円のチップが飛び交っていたそうな。島の人口も今の3倍ほどいたそうで、呉の造船ブームもあり、バブル時代はかなりの賑わいを見せていたという。 今夜は、この喫茶店で、刺し盛りつまみにビールを飲んで、締めがカツ丼定食を食べて満腹となった。

 

「いまばり海の駅」に初めて寄港しました!

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海の駅といっても電気も水道も取ることができない(水は取れるが、取水単位が本船向きなのでポリタンレベルなら貰い水の方が良い。トイレは正面に鯨を模したおしゃれな公共ビルが利用可能、とても綺麗)。この綺麗なビルの一階海に面して管理事務所があり、専任のスタッフが常駐している。日中は、島を結ぶ小型フェリー、はしけ船、漁船、それに海上保安庁の監視船の離岸着岸が続くため、艇がよく揺れるが夜は瀬戸内海が穏やかである限り静かである。。もちろん愛媛県の海の駅だけに係船料は安い(1000円+トン計算)。

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今は写真のような快晴のため、エアコンの効いた艇内で汗が乾くのを待ちながら休んでいる。昨日の新居浜での夕食は、仁尾マリーナのハーバーマスターから教えてもらった鮨屋に出向こうと楽しみにしていたのだが、教えてもらっていた2軒とも残念ながら定休日(日曜日)で行くことができなかった。代わりにアフトデッキでのミニビアガーデンを楽しんだ。(新居浜マリーナの中はいたって静寂)今回の「Go toクルーズ」では、コロナで外食を控えていたので飲みに出掛けたかったのだが…。

ということで今晩は、焼き鳥「たかはし」にチャレンジしてみることにした。「月曜日だから普通の店は通常営業日、開いているはず!」と、今治に着いてすぐに予約の電話をしてみたら、気持ちの良い声がスマホから聞こえ、ほっとした。

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「新浜マリーナ」→「いまばり海の駅」の移動は、ご覧のような海況(風、波ともに無し)であったため、約20マイルの距離を50分で走った。ヨットなら無風、機走の辛い炎天航海になったはず。しかし、ボートにとっては最高な海況、途中ゴミもあまりなく、なんら注意を要する場所もない、昨日に続きまたもや快適な走行となった。少し休んでから今治タオルでも買いに出かけるつもりである。

実は今治には「今治城」くらいしか見るべき観光スポットが無い。やはり、「今治タオル」が目玉コンテンツであろう。その今治タオルの各メーカーが共同して出品している場所が、「今治タオル本店」と呼ばれる場所である。大三島からしまなみ海道を渡りバスで行ったのが2年前、その時はGWということもあり、混雑していて売り切れ商品もあったり、レジでも長らく並んだが、今回は平日にコロナ災禍も加わってか店舗内には誰もおらず、おかげでゆっくりと買い物ができた。

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こちらは「今治城」。案内看板によれば、村上海賊が芸予諸島を去った後、今治の地に入った藤堂高虎が築いた当時最新鋭、近世型海城であったと書かれていた。確かに天守閣が無駄に大きくなく、すっきりとしたデザインに見える。

 

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開店早々の17時30分に入店した焼き鳥「たかはし」。看板が出ていないので分かりにくいが、退店する頃には満席になっており、繁盛していた。軟骨の唐揚げがとてもうまく、2階の店からは今治城を臨むことができる眺めの良い店であった。しかも、それでいて値段は極めてリーズナブル。最も高い料理で550円(タコブツ)、生ビールは私の好きなモルツ、よく冷えていたので、中ジョッキ4杯を平らげた。海の駅桟橋からは歩いて10分ぐらいである。陽が陰った帰り道は海風が心地よかった。

 

「新居浜マリーナ」に初めて寄港しました!

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2020年はGWを挟んだ恒例の春クルーズを、コロナ災禍で中止した。梅雨明け間近の7月中旬に入ってようやく「Go toトラベル」による国ドリブンの移動緩和方針が出たと思ったら、今度はこれまでコロナ感染者が極端に少なかった香川県、さらには我がホームポートの三豊市にも罹患者が発生してしまった。

7月もまたクルーズを断念しなければならないかと思いきや、香川県知事が「県を跨いだ移動は慎重に用心して下さい」との方針を県民に発表、つまり移動禁止とはならなかったため、「Go toトラベル」改め、勝手に一足早い私ドリブンの「Go to クルーズ」(補助金はもちろん出ないが 笑)を始めることにした。念のため予約先に確認を入れるとビジター艇の受入れは平常通りにしているとの事であった。

このような次第から、足慣らしとして瀬戸内海ショートクルーズ、できれば今まで寄港した事のない瀬戸内海の港を廻るクルーズを行うことにした。

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最初の寄港地は「新居浜マリーナ」、ホームポートである仁尾マリーナからは20マイル、出港時は、ほぼ無風、波なし状態のまま1時間で到着した。

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http://www.niihama-marina.com/visitor.pdf

岸壁にマリーナ入り口とはっきり書かれており、入港にあたって難儀なことはない。マリーナ施設は「仁尾マリーナ」と同じユニマットが運営受託しているため、係船料はかからず、燃料もメンバー料金(免税88円)が適用される。規模は仁尾マリーナより少し小さいようだが、若者達の練習マリーナでもあり、ディンギーを操る若者の姿を見ることができる。これが自分の青春時代を思い出させ、なかなか微笑ましい。「仁尾マリーナ」とは何かが違うぞと思ったが、要は仁尾マリーナには若者の姿が殆ど無いため、これが色気の無さに繋がっているようだ。

施設面では桟橋もリニューアルされ、クラブハウスも経年変化はあるものの、維持管理が良くできており、老舗ホテルといった感じがする。併設にマリンパークと称する人工ビーチ、キャンプ場、BBQ施設もあり、なかなかのものである。そして、よく賑わっている。要素的には仁尾マリーナも同じなのに賑わいに差があるのは、まずはキャンプ場としての魅力、さらには三豊市(人口6.5万)と、新居浜市(人口12万)の町力の差、であろう。

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このマリーナで「Nordhavn47」に遭遇した。ちょうどオーナーのK氏がいらしたので、色々と質問をさせてもらい、さらには船内まで見学させてもらった。この艇は、米国から中古で購入し、オンデッキで横浜で上げたという。それからのJG船を取るまでの話、その後の整備の苦労などを聞かせてもらった。驚いたのは、上架は重いので一般のマリーナでは無理、そのためわざわざ造船所まで出向いてドッグに入れ、その上で整備しなければならず、そのコストは船台使用料金(万単位)とは桁違う(100万単位)事を知らされビックリした。それだけ費用をかけて愛されているのでとても船齢10年超には見えない。但し、排水艇なので、巡航スピードは8kt。オーナーはまだ現役の社長なので、長い休みをとってのクルーズを楽しむことができていない様で、今のところ、この船でのステイ、メンテに楽しみを見出しているようだ。

ポーナム35の船底塗装について

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2020年春クルーズ(日本海)は、コロナウィルスの緊急事態宣言騒動によって、寄港予定の港、マリーナ、ホテル全てにおいてビジターの受入れが不可になり、中止せざるを得なくなった。

そこで、このすっぽりと空いた期間を利用して、艇の保管形態を海上係留に切り替えることを決め、そのために船底塗装のやり直しをすることになった。やはり、艇は海に浮んでいる方が何かと便利であるし、出港しないマリンライフという選択肢も得られる。これも実に楽しい。

私のポーナム35は2016年5月に進水したが、その時は佐島マリーナでの艇庫保管を前提にしていたので、船底が海上係留仕様の塗装となっていなかった。そのため、出航やクルーズ毎に船底洗いを自分で行っていた。1ヶ月のクルーズともなるとジェットを使えない(使うと剥離を促進してしまう)ので大体2日位の時間が必要となる。さらに最近は、経年劣化も手伝って部分剥離が所々(船底、発電機室、バウアンカー室)に発生し、特に船底は部分補修したエポキシ塗装の跡があばた状態で目立ち始め、これが陸置している時によく目立つのである。何やら恥ずかしい気になる。そんな事で船底全てとハル内部の剥離箇所の塗装やり直しを決めた。

 

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その船底塗装だが思いの外、時間と費用がかかった。塗装艇という問題もあったが、海水による電食の心配がつきまとうアルミ艇固有の入念な作業が加わったからである。

 

アルミハルのポーナム艇を有するオーナーも数多くいると思われるので、「雑感」としてブログにまとめ、皆さんの参考に供したい。

本来、ポーナムシリーズ艇は陸上保管が基本となっている。例外が35のタイプで、このタイプの艇ならば海上係留仕様塗装を前提に常時の海上係留保管が可能と、メーカー(トヨタ、マリン事業部)がサービスマニュアルの中で謳っている。その仕様の要点は「ハル塗装の重ね塗りと、防汚塗装」が必須という事になっていた。

ハル塗装とは、アルミハルに塗る塗装でエポキシ系塗料を使う。作業内容はそれまでの塗装の荒削りから始まる下地処理→プライマー塗装(2回)→ハル塗装(2回)→バインダー塗装(1回)というプロセス。それぞれに十分な乾燥が必要となるので、この間全て天気に恵まれたとしても乾燥時間合計で68時間、船台拘束時間ベース換算で最低でも10日間といったところ。このハル塗装までの段階で、旧ハル塗装の下地処理も入れて約35万位かかった。

次なる防汚塗装とはいわゆる船底塗装のことで、貝、海藻などの付着防止のための塗装で、銅イオンフリー(電食回避)のものをハル塗装の上に重ねて塗ることになる(アルミ地肌に直接塗装しない)。塗装(2回)、加えてラダー、スクリュー等にペラクリン塗装をして完了となる。ここまでで、乾燥時間合計で8時間、船台拘束時間ベースで最低でも5日間ぐらい。この防汚塗装で約30万位かかった。

こうしてハル塗装、防汚塗装合わせて時間の方は3週間ぐらいかかった。つまり5月の1ヶ月を費やした事になる。6月8日に晴れて桟橋係留の仲間入りが出来た。

 

自分のホームポートでやれたので、船台使用料、上下架料金は不要であったが、ビジター艇として何処かのマリーナでやれば約100万位になったであろう。仕上げは写真の通り丁寧にきっちりなされており、グッドジョブ!であった。来年からは、何も問題がなければ防汚塗装のみとなる。

 

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2020年春クルーズ(日本海)中止

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準備を重ねてきた2020年春クルーズ(日本海)。計画では4月16日に出港して北前船航路を辿り、舞鶴港を最遠地に折り返す事になっていた。約1ヶ月の航海である。

関門海峡を越えて日本海を東進するのは初めてであり、この航程での寄港数は17の地に及ぶ。海運史書に出てくる北前船の立ち寄り港をほぼ全てカバーするつもりでいたので、グーグル地図を開いて係船可能な岸壁を確認し、次にネットで泊地情報を探した。

ヨットの人達が記録を残してくれていたが、皆さん燃料調達の優先度が低いので言及が少ない。その為、最寄のGSをこれまたグーグルで探し、個別に電話して配達の可否を確認した。

日本海の場合、民間マリーナ、海の駅を中心としてきた今までのスタイルは取れない。即ち、殆どが岸壁係船になる。そこで、西強風で岸壁に押しつけられた種子島西之表港)を思い出して、従来の大型エアーフェンダーに加え、より頼りになる大型涙滴フェンダも買入れた。エアー型は軽くて収納時の収まりも良いのて重宝するが、いざとなるとパンクし易く頼りないのである。但し、瀬戸内海の様に潮汐の影響は無いとの事なので、風次第ではあるが接岸自体は楽であろう。

このように準備してきた訳だが、4月に入っての緊急事態宣言以降、各マリーナの外来艇受入れ自粛姿勢が顕著となり、海の嵐では無く世間の嵐の方が怖くなってきた。そこで予約先に中止連絡をすると、皆さんホッとした声に変わり、すまなそうに「また宜しく、お願いします」(隠岐島)と言ってくれた。

「仁尾マリーナ」においても「ビジター艇の受入れは自粛してもらっている。マスク着用をお願いし、無ければ有料で提供する形にする」(ハーバーマスター)、「キャビン内での茶話会はやめて、デッキ上オープンエアーで行う様に自然に変わってきた」(NYOC)と明らかな変化が起こっている。

2020春クルーズ(日本海)の中止は時宜を得た良い判断となった次第である。

掲載写真は世界一周クルーズ中の 60fの大型クルーザー。1週間前に「仁尾マリーナ」に入ってきた。ハルは鉄、デッキはアルミ製の素晴らしい艇。オランダで建造、所謂プロダクション艇ではない。これを夫婦2人(ドイツ人)で操船してきたと言う。聞くところによると、オーナーは大学教授らしく、来年春まで艇をここに預けて一旦ドイツに帰ると言う。これだけ長い距離を走ってきたのに全く艇にやつれ感がない。全てにきちんとメンテナンスが行き届いている。戻って大学の授業、自身の研究などを続けるのかもしれない。しかしながら、優雅なものである。うらやましい事この上もない。

仁尾の河津桜

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2020年2月29日、新型コロナウイルス感染対策で安倍首相が緊急記者会見。仁尾マリーナのある三豊市でもすでにマスクが売場の棚から姿を消して久しいが、この記者会見でトイレットペーパー買いだめ騒動に言及があったらしく、週末にかけて三豊の街からトイレットペーパーがあっという間に姿を消してしまった。私の人生で、トイレットペーパーの買いだめ騒動はこれで2度目である。今から約半世紀前の1973年(昭和48年)、オイルショックをきっかけに物質不足になるらしいという噂がきっかけだった気がする。確か、洗剤、サランラップも無くなっていた。今日は3月3日、どこに行ってもコロナ、コロナ、雛祭りのこと、話題にも出ない。

さて、私も楽しみにしているNYOC(仁尾ヨットオーナクラブ)の恒例茶話会は「銭形号」の艇内で行われるが、ここではキャビンの中に8人ぐらいのメンバーが片付け終わった順に適宜集まってくる。皆さん元気で、その最中は口角泡飛ばしモードとなるのが常だ。皆さん人生の達人、トークが面白い。結果、濃厚接触。しかし免疫力バッチリの後期高齢者ばかりなんで安心、安心。

今日は大変に天気が良く、久しぶりに地元馴染みの「七福」にうどん食べに行った。そこでおばちゃんが「河津桜、満開だよ。明日は天気が悪くなるから今のうち見ておいで」という事で見に行ってきた。この桜にはコロナの影響はないようだ。ほっとする。

 

 

 

ポーナム35のプロモーションビデオ?

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仁尾マリーナにはドローン撮影の達人がいます。ラジコン飛行機を飛ばすために、自前の滑走路と空域確保用の土地まで買おうとした強者です。

その匠の技から見れば、ドローン操縦などは朝飯前のようで、「いつでも撮ってさしあげますよ」と言ってくれました。今回、そのお言葉に甘えさせてもらい、生まれて初めての自艇航行の動画をいただきました。早速、動画編集ソフトを使って編集してみました。

自分としては良く仕上がったと思いますが、出来あがりを見るとまるでポーナム35のプロモーションビデオみたいになってしまいました。年間生産隻数が少ないため、3年先までの受注残を抱えて、しばらく売る船が無いという話も漏れ聞こえてきたので、プロモーション無用かもしれませんが、トヨタマリンの方々にはぜひ見ていただきたいです。

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2020年新春 「仁尾マリーナ」に爆弾低気圧で南西20m超の風

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本日は日本海爆弾低気圧が発生し、1月なのに日本中に春の嵐の様な南風が吹き荒れている。私は自艇の安全チェックのため先程マリーナに出かけてきた。2艇のビジターボート(左側桟橋に縦列係船)が昨日から避難で入っている。回航中らしい。ここ「仁尾マリーナ」は西に開いており、その前には「大蔦島」が有って直接燧灘に開いている訳ではない。しかし、今回は20mを超える南西風が吹き込んでおり、時折、波飛沫が防波堤を飛び越えてくる。普段静かなマリーナ海面も御覧の状態。

「仁尾マリーナ」は地方のマリーナなので関東の主要マリーナとは違い、年末年始は休みとなる。更に最近の働き方改革もあって、職員は前後に休みを付けて長期の休みを取る。夏に備えて英気を養うためであろう。よって、今日のヤードは新人のH職員のみである。20m超の風の中、係船艇の舫を1つ1つチェックするなど懸命に働いていた。その姿に頭が下がる。

一般的に瀬戸内海を周遊クルーズしているビジター艇の艇長にとって、いざと言う時の避難港をどうするかは、常に頭の中にあると思う。当然、台風或いは台風並みの風をもたらす低気圧をかなり前から見込んで計画するのも現実的ではない。ボートの場合は、足が速いので、1日前に翌日の風予報を見て避難を決めると言うスタイルとなる。しかし、前日の急予約なのでビジター艇の収容能力がある程度ないと断られる事が多くなってしまう。

という事で私がクルーズ中に想定する避難マリーナとしては、瀬戸内海西部なら「広島観音マリーナ」、中央部なら「仁尾マリーナ」、東部なら「和歌山マリーナシティー」となっていた。

2019年の台風21号の際でも係留艇に被害が及ぼさなかった「新西宮ヨットハーバー」は?と聞かれてしまいそうだが、大都市に存在しているため近隣のマリーナも多く、ここに係留の艇からの避難予約が殺到してしまい、前日予約では難しいと聞いた事がある。勿論、予約が取れるならこのマリーナも候補としてありであろう。

 

因みに、本日の「Windy.com 」の画面も参考のため載せておく。20mを超えると前に向かってかなり歩きづらい。

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