ボートで行くクルージング三昧

ホームポートを瀬戸内海(仁尾マリーナ)に移してクルージングを楽しんでます

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)5月26日温泉津「温泉津漁港」

7日目:出港準備をしていると1台の怪しい車が岸壁に停車した。車から刑事風の男たちが3人降りてきて「海上保安庁の者です」と名乗ったので、先に私から「取り調べですね。やっと現れましたか、求める書類は全部ファイルしてあります!」と答えて艇内から臨検セットを渡した。いつもながら、彼らの態度は低姿勢である。でも不備があったら態度が豹変するのではないかなどと考えながらしばし雑談。その雑談は彼ら主導の情報収集であることは言うまでもない。無事、何ら指摘されることなく終了した。「これからも我々の管区の港に入る予定のようなので、艇の写真と情報を管区で共有しておきます。これで、この管区内では再びの安全指導を受ける事はないでしょう」ということで別れた。

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9時15分「浜田漁港」を出港した。昨日、世話になったN氏から「温泉津に向かうのであれば、浜田港を出てすぐに針路を取るのではなく、一旦北に向かって水深80mになるまで走り、その後、転進して温泉津港に向かった方が良い。入港にあたっては、北から温泉津港が奥まで見渡せる針路をもって入港するように」と言われていたので港を出た後、「馬島」の堤防赤標を交わして北に向かった。このコースを取る理由は、途中に大きな定置網が何個も設置されており、中央部は浮きや網に付いた海藻の重みで垂れ下っているため、発見しずらいからだそうだ。浜田港に来たヨットが、これに気が付かずスクリューに網を巻き付け散々困難してようやく戻って来た話をN氏がしていた。

出港から1時間で「温泉津漁港」に入る。「JFしまね温泉津出張所」に出向いて、係船場所の指示を得て無事着岸。この場所で水深3.5m。24時間空いている清潔なトイレが徒歩5分の観光センター「ゆうゆう館」の中にあった。水ももらえる。温泉街には有名な銭湯「薬師湯」が徒歩10分、魚屋、スーパー、床屋、コインランドリーまである。燃料配達は受けなかったので不明(近距離にはなく、量が多ければ、配達料を払えば交渉可能かもしれない)

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しばし休息を取り、15時から活動開始。先ずは街歩きをして1番先に目に飛び込んできたのが、「温泉津」の造り酒屋の看板。「なんでこんな所に造り酒屋が?」と私の好奇心をくすぐった。

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この「開春」という名前が特に気に入った。軒先を借りて入港しているビジターとしては頑張っている地元の造り酒屋には一目置かざるを得ない。

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この写真は「温泉津」温泉街の一コマ。気がついたのは、明らかに一軒一軒の建屋が高いということだった。その疑問を解くべく出会う人毎に訪ねたが、3人目にして腹落ちする回答に出会った。それは「この地は土地が狭く、上に延ばすしかない。木造3階建てもあるくらいだ。また通常の2階建てでも、中二階、本立て2階とあり、後者は軒高が高い」であった。

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驚くかもしれないが、「温泉津」の温泉街にお洒落なコインランドリーがあった。早速、溜まった艇内の洗濯物の総洗いしたが、旅をしてここ数年のコインランドリーの進化と綺麗なトイレの普及には驚く。

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コインランドリーから徒歩数分で「薬師湯」についた。評価の高い湯だが湯質としては私の好みでは無かった。前泊の「有福温泉」の方ならまた訪れてゆっくりしてみたいと思うが、毎日となればこのしょっぱく、鉄臭いこの泉質は辛い。ただし、温泉としての薬効は素晴らしい。帰りの足取りは雲の上を歩いている様に軽くなった。

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)5月25日浜田「浜田漁港」緊急事態が発生し入港

6日目:前の晩に「Windy」をチェックすると、明日は11時以降から南西の風が強まり8mになると予報されていたので、それまでに到着するため早朝の出港を決めていた。この事がこれから起こるアクシデントを最小限に抑える事になると、この時はまだ知るよしもなかった。

本日は朝5時に起床し、1番に各予報サイトをチェックすると「海の安全情報」(海上保安庁)サイトに強風波浪注意報が出ていた。風が出るまでのこれからの5時間で一気に「温泉津」(70マイル)まで艇を進めようと考え、5時50分に「萩漁港」を出港した。出港時は想定通りの海況で順調に25ktを保ち、2時間で浜田港近くまで来ていた。が、その時突然「ピィー」っとPONAMの警告音が鳴り、操作スクリーンには「右フラップ制御油量に異常あり」との警告が表示されていた。と同時に、オートフラップが効かなくなった。すぐにオートフラップからマニュアル操作に切り替えようと、切り替えボタンを押しても反応がなく、マニュアル操作に切り替わらない。フラップが効かないため、艇は右に傾いたまま戻らない状態である。そこで、「温泉津」は断念して急遽、途中寄港可能地として想定していた「浜田港」に緊急入港することにした。ちなみに、「浜田港」は西日本屈指の規模を誇る大きな漁港である。サポート体制が整っていると判断して、今回クルーズの避難港の一つとしてマークしていた。

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当初Googleで探しておいた係船場所に仮止めをして、急いでJF島根浜田支所に電話を入れた。その際、「世話役としてN氏がいくので、具体的な指示は彼から受けてください」と言われた。彼を待っている間に、オートフラップ制御油圧バルブのある発電機室を開け、確認してみたのが下記の写真である。赤い水が一面に溜まっていた(血の海の様)ため、急いでトヨタマリンのO氏と同じく整備担当のM氏、「仁尾マリーナ」で実際に整備をしているO氏達と電話のやり取りおこなって原因の特定を進めた。この赤い色のオイルはフラップの制御用オイルで、どこからか漏れているとの結論に達した。

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次に、漏れている箇所を把握し、修理もしくは部品の交換を行わないといけない。浜田港には艇を停めている場所から少し離れるが、浜田マリーンというマリーナがあり、多少の整備もできるような記載がホームページにあったので、早速電話してみた。しかし「当マリーナでは、ディーゼルは触らない事を原則にしております。停められている近くにヤンマー舶用という会社があるので、そちらに相談されてはいかがでしょうか?」と丁寧にお断りをいただいた。

調べてみると、艇を繋いでいる目と鼻の先にヤンマー舶用社があり、電話をかけてみると女性が電話に出られて、「木曜日まで社内の整備担当全員で地方出張整備に出かけていて、今私1人しかいなんです」と申し訳なさそうに答えてくれた。

この時点で、これは長期戦になるかもしれないと、半ば諦めかけていたところに「世話役N氏」が現れるのである。その奮闘記は後程…。このN氏が地元のネットワークを駆使して、あらゆるリソースを電話一本で集め、一気にあらゆる事が解決していった。緊急入港事態からの潮目が一気に変わってきたのである。

N氏がやってきて、仮止めしていた場所にこのまま停めていて良いとの回答をまずは得た。(水深は干潮時3m、幾重もの防波堤に守られ内面は南西10m超でも小波程度であった)だだし、南西の風が強く吹く時はフェンダーがしっかりとしていなければダメである。トイレは、この場所から徒歩5分の公園内にある。和式だがよく清掃されていた。また水は、N氏の了解で、目の前にある水道を自由に使わせてもらえることになった。

N氏と少し世間話をしていると、N氏は、浜田に生まれ、浜田で育ち、中学を卒業してから84歳になるまで、ずっと漁師で、今も現役とのこと。困ったことがあったら、相談しなさいよというお言葉をくれた。その言葉に甘え、「実は、、、とフラップの制御オイルが漏れていて、、、ヤンマーさんの整備の方も木曜までいないんですよね、、、」と世間話のように軽く話した所、「ちょっと待っとけ」とすぐにスマホを操作して「ちょっと来てくれるかー?」と誰かを呼んだ。聞くと、ヤンマー舶用のOBで現在は独立して整備をしている方を呼んでくれたとのこと。こんな嬉しいことがあるものかと感動していると、N氏が「燃料はどうするのか?」と聞いてくれたので、「軽油250Lほど入れたいと思っています」と回答が終わらぬ間にスマホを操作し、「軽油配達お願いできるか?」とすぐさまに手配してくれた。船の不具合で気持ちが少し下がっていたのだが、こんな対応してもらうと気分が大いに上がってきた。

まず先に到着したのは、軽油トラック(株式会社浜昭)が2名できてくれた。すぐに250L(累積1,350L)を免税で入れてもらい、次にフラップ制御オイルとして車に利用するトルクコントロールオイル(通称トルコンオイル)を4L手配して欲しいとお願いすると、一旦会社に戻ってすぐにまた来ますと言い残して戻っていった。

そして入れ替わりで現れたのが、ヤンマー舶用のOBであるF氏。状況を説明し、発電機室内を見てもらった。最初は、トヨタの船は私にとっては外車と同じ」と言って、ヤンマーエンジン一辺倒のF氏は少し逃げ腰であったのだが、世話役N氏からもお願いされたこともあり、すぐに期待通りの対応をしてくれた。F氏は発電機室内を専用の液晶ライトで照らしながら確認し、オイルの漏れている箇所が左右にある姿勢制御フラップをコントロールする油圧オイルのチューブが経年劣化で裂けていると特定した。(写真参照)

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裂けたチューブを見て、「このチューブなら代用品が事務所に有ると思う」とF氏が事務所に取りに戻ると、続いて、一旦会社に戻っていた軽油トラックの2名が戻ってきた。「トルコンオイル4Lです」と缶を手渡してくれ、「いくらですか?」と聞くと、「私らも会社になかったから、もらってきたオイルやからお金はいらん」との回答。オイル手配に奔走してもらったのにそれでは申し訳ないと押し問答をした挙句、長期クルーズの際には、常に積み込んでいる「菓子折り」(今回は10個)を受け取ってもらうことで、ひと段落。今回のクルーズでも菓子折りは大活躍である。クルーズ最後まで足りるか少々気になってきた。
そんなやり取りをしていると、F氏がチューブ片手に戻ってきて、すぐにチューブを付け替えてくれ、2人が持ってきてくれたオイルを注入して、修理と動作確認が完了した。修理完了時は大いにみんなで盛り上がり、私もようやくホッとした。
それぞれが帰宅し、世話役N氏が帰宅する際に、「日帰り温泉はこのあたりにはないですよね?」と聞いたとことろ、「わしがいつも行っている温泉があるので、一緒に行こう!15時に迎えに来る」と言い残し去っていった。この時点で12時。海はまだ荒れていない。

15時に迎えにきてもらうまでに、散らかっているアフトデッキや室内を片付けていると13時ごろには風速10m超の南西の風が吹いてきた。慌ててロープを貼り直し、フェンダーを総動員した(10個)。今回の長期クルーズに供え、新たに導入していた涙滴フェンダーも初めて使った。涙滴フェンダーのおかげか、艇内の揺れはさほどひどくない。

世話役N氏と一緒に訪れた温泉は「有福温泉」である。車で約20分もかかる場所に連れていってくれた。「有福温泉」は、聖徳太子の時代に山岳修行僧が山奥で発見した温泉だそうで、歴史は相当に長い温泉のようである。本当にいいお湯であった。化粧水の中に使っている様な感覚、少しぬるっとする弱アルカリ源泉掛け流しの無味無臭のお湯である。ここまでのクルーズでは、コロナの事もあり、船内シャワーでずっと済ましていたので、久しぶりの湯船に浸かり、自分が思っていた以上に疲れていた事も実感、しかし、この湯で身がほぐれた気がした。

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 明日は、「温泉津」(ゆのつ)に行く。20マイルの短い航程だが、その地にある「薬師湯」を楽しみにしている

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)5月24日萩「萩漁港」2日目

5日目:今日は移動せず「萩漁港」にとどまって過ごす。したがって、今日のブログはその結果報告となり、航海情報ではなく観光情報となることをまずはお詫びしたい。

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最初に紹介するのは、「萩漁港」と同じ敷地内にある道の駅「萩しーまーと」である。魚屋が複数入っており、品揃えも豊富、それぞれが個性を競い合っている。食事店も多数入っており、日曜日、祭日ばかりか、本日は月曜日であるが賑わっている。特に施設内にある、食事処「がんがん」が人気のようだ。観光タクシーのドライバーにも勧めていただいた。2〜3日の滞在ならこの「萩しーまーと」で全てを賄えるほどの充実ぶりである。漁港故に朝早くは漁に出る漁船、漁から戻って荷上げする船の引き波で揺られるが、それでも再び萩に寄港するなら、私はこの「萩漁港」を選ぶと思う。

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話は前後するが、昨日は徒歩で地元屈指と言われる寿司屋「祇園鮨」に出かけたが、素材の吟味もさることながら、こだわりの仕事ぶりに感じ入った。職人といった感じの大将で、少々癖のあるところもあったが、職人故のものであろう。
大将が、「萩は面白い街で、回転寿司が繁盛しないんです。最初に出店した回転寿司はあえなく撤退、最近ようやくスシローが開店したんですよ」と教えてくれた。また、店内には「当店にそぐわないお客様には退店しただくことがあり、退店させられたのならば2度と来店していただかなくて結構、また、退店させられた理由をご自身でしっかりと自覚するように」といった趣旨の掲示がなされている。これはぐさっと私の心に刺さった。でもまるで喧嘩売っているみたいではないですかと正すと、「萩市内には寿司屋がたくさんあり、お客が店を選ぶなら、店もお客を選んで個性を出していかないと淘汰されてしまう」とおっしゃられる。いきなりの直球返球にビクビクしながら最初は注文していたが、食べてみるほどに納得、最後はお互いに名刺の交換までして別れた。それにしても、この入り口、看板も、暖簾も見えない。しかし、こだわりがあるにもかかわらず、正面に置いている自転車はいただけない。

さて、本日の話しに戻らせていただくと、本日は朝から再び雨が降っている。梅雨前線が北上し、また梅雨シーズンに戻っている。けれども初めての萩訪問となるため、観光タクシー(日の丸松野タクシー)を使って効率的に回ることにした。先ずは、萩の街並みを俯瞰してみる。一言で表現すると三角州に作られた街である。関ヶ原で負けた西軍についた毛利家が追いやられてこの地に追いやられた。恐らく最初は低湿地のどうしようもない土地だったに違いない。ここを運河を通し、洪水対策を施し今日の萩に作り替えたと言うことになる。

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最初に訪れたのが、吉田松陰高杉晋作の墓である。熱烈な吉田松陰信奉者の寄進により今尚、立派に保存されていた。吉田松陰の凄さは松下村塾に沢山の塾生を集め、その塾生達が明治維新の立役者を構成していくまでなったことであろう。中でも若くして亡くなった高杉晋作は集まった塾生の中で身分的にはその他の学生よりは高い位の層に属し、当時としては体制側に追従してもおかしくはなかった人物であった。それが体制改革の先頭を切るのだから、彼の果たした役割はすごい。それも幼き頃に天然痘、そして最後は結核で29歳で死ぬ、壮絶以外の何者でもない。2人に深々と頭を下げ、私の萩、来訪を心の中で呟いた。。

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この写真は説明の必要がない「松下村塾」である 。ほぼ当時の原型を保っているという。もとは吉田松陰が養子に入った吉田本家の納屋を改造したものだという。この建屋で学んだ塾生達が明治維新の牽引役を構成するまでなったわけだから驚く。つくづく教育の成果は環境ではなく、学ぶ人間たちの志(意思の力)の高さで決まると思った。

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因みに、今夜のつまみの写真をあげておきたい。奥が「瀬付きアジ」、手前が「カサゴ」の刺身、これを熱燗でゆるりとやっている。「萩しーまーと」で柵で買い求め、艇内で刺し盛り仕立てにして堪能している。これで千円で済んでしまった。五島列島の刺身が1番としていた私だが、萩(日本海?)の魚が1番になるかもしれない。

 お皿は、萩焼の窯元に出向いて今日新たに買い求めたものであるが、なかなか良いようである。どうしてもクルーズでは割れても大丈夫なようにメラニン食器を主に使ってしまうが、これが病院食のようで悲しくなる時がある。これほど静かな「萩漁港」、そして最高の食材を朝に買い求めたのでわざわざ、それも奮発して買い求めたものである。

本日給油(丸中石油、出光興産)で300L(累計1100L)を行い、満タンにしておいた。

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)5月23日萩「萩漁港」

4日目:「本日のような天気と海況を、ボート日和と言わざるしてなんと言おう」と思わず独り言を呟いてしまうほどの「萩漁港」行き絶好日となった。9時15分ほぼ無風の中「新門司マリーナ」を出港し、全航程弱風+追い風+波高1m以下の状況の中、快適に12時45分に「萩漁港」に入った。

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今日は日曜日のため、係船場所を指示してもらう漁協が休みとなる。まずは艇を仮止めして上陸し、関係者と思われる何人かに声をかけて回っていた。その1人が「今置いている場所でいいよ、明日は漁協が開いたら職員に一言声をかけて」と助言してくれたが、仮止めしたところは決して好条件の岸壁ではなかった。
そこで、このクルーズの計画時にグーグルマップであたりをつけていた、もっと良い場所であろうところに歩いて行って場所を確認していた。すると人が歩いてきたので話しかけてみると、なんとその場所に漁船を係船していて、その漁船でまさに今から漁に出ようとしていた漁師であった!なんとナイスタイミング!「どこに艇を止めればいいですかね?」と相談したところ、彼が「今止められてる場所は、漁船が入ってくるからすごい揺れるよ?俺の漁船の場所、今から出るからその後使って良いよ。火曜日の午前中に戻ってくるのでその時までだが…」という言葉をすぐにくれて、思わず小躍り。艇を移動して写真に収めたの下の写真。この場所からは、道の駅(24時間使用可能な立派なトイレあり)まで歩いて3分である。2日間の萩滞在の場所として便利この上ない。

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着けさせてもらった岸壁は「JFやまぐち」の氷供給岸壁の奥、新川運河の出口となる。水深は干潮時3.5m、満潮時4.5mであった。今回は、テンダーボートを積んでいるので早速、新川運河を上って探検に出かけてみた。

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「萩漁港」に入って感じたのが漁港内に係留している地元漁船の少なさであったが、新川運河を上って見れば、左右の護岸にびっしりと係船されていた。

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当初、この運河を上って松本川に出て、一旦河口から海に出て、「萩八景遊覧船」が走る運河に向かうつもりだったが、松本川河口には沖からの波が狭い河口にぶつかるので波が高く、テンダー2馬力からの目線ではこれが大波に見えて怖くなって引き返した。

今日まで4日間、安全に走ってきたが、今回「角島大橋(海士ヶ瀬)」通過の際にヒヤリハットがあった。

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この写真に写っているのが「角島大橋」だが、私は橋高の1番高い所を目指し走行していた。通過に際して、この場所は浅いとは聞いていたので艇速を落として用心しながら接近したのだが、急に海底の色が黒くなり始めた。これは下の岩の色、水深は3.6m、まだ浅く浅なりそう!と慌てた。その時、誰かのブログにあった「ここを通過するときは2個の緑浮標に沿って直進する」という言葉がよぎった。海の色が緑に見える切れ目を見れば、2つ縦に並んだ緑浮標が見えるではないか、45度転舵して、改めてそのようにしてことなきを得た。

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しかし、この橋下の通過は「綱不知」より始末が悪い。なんせ、橋の左右には広々とした海面が広がっているので、橋に見惚れている間に進入角度を誤ってしまう。今回のヒヤリハット、もう1つのラッキーは、FB操船故の目線の高さである。船内で操船していたら真下に来るまで海底の色の変化に気がつかず、座礁していたかもしれない。周りを見やって深いところに転舵することは無理であったと思う。
通過後、海図上の航跡を見たらゾッとした。ギリギリの回避行動であったからだ。なんと干潮時の水深は0.89m、この日の干潮時間は12時30分、私の通過した時間は11時15分であったことにも救われている。くれぐれも橋高の1番高い所を目指して走行するのではなく、縦に2個並んだ緑浮標にギリギリ沿って直進することをお勧めする。

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)5月22日福岡「新門司マリーナ」

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3日目:前泊の「国東マリンピア」では、静寂、無音の夜であったためぐっすりと眠ることができた。起きてここはどこ?と慌てて自問自答したほどだ。まずは起きて、コーヒーを落としながら、「Windy」サイトをチェックすると終日西風6mが続くとの風予報、TVでは九州地方は夏日になるほど天気回復と報じている。これであれば、何時に出港しても海況は変わらないだろうと考え、テラスにコーヒーを持ち出して久しぶりの陽光を楽しんでいた。ここにヨットを浮かべているオーナー達も集まって来て束の間の会話を楽しんだが、彼らも1人でボートクルーズしている人間に興味があるのだろう。話題は多岐に及び、現在太平洋横断中の辛坊氏のハルベル・ラッシー艇はここで整備された事、それを担当したのが当マリーナの名物メカニックのN女史であった事、一際目立って浮かんでいるヨットは世界一周を果たした艇との事。それも最初に買ったヨットだそうだ。あっという間に1時間が経ってしまった。この「国東マリンピア」には多種多様な艇オーナーがいるようだ。

気がつけばいつもより遅い10時10分の出港、昨日の伊予灘越えよりは遥かに楽ではあったが、姫島水道通過後はこの海域独自(水深が20mの浅い海がずっと続いている)のチョピーな向かい波、風も西7mの航行となった。それでも波高が低いので洗濯板の上を走るようにではあるが、ずっと23ktを維持できた。

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12時30分「新門司マリーナ」に到着。燃料250L(累計800L)を入れて停泊バースに移動したが、この場所は港入り口が見通せる場所。従って波もそれなりに入って、風のあるうちは全く静穏という訳にはいかなかった。それでも夜になり風の落ちと共に静寂な水面に戻ったが、この桟橋しか200Vの陸電が取れないので致し方ない。

さてこのマリーナの基本情報だが、民間マリーナだけあって全てが揃っている。欠点は足の弁で直通(門司駅)のバス程まで30分歩かねばならない。タクシーなら昼間3千円の距離、埋立地の最先端に位置しているため周りには何もない。また、海上係留のキャパシティはそれほど大きくはないが、天気の良い週末でもあったため賑やかで、東京時代の葉山マリーナ、佐島マリーナを彷彿とさせた。私のホームポートである「仁尾マリーナ」は大きくて立派だが、高齢化も手伝ってか閑散感が常につきまとうのとは対照的。やはり、福岡、門司といった大都市圏を背後に持っているマリーナはゲストも含めて皆若いようだ。声も大きい、挨拶も明るい。

実は福岡県がコロナ緊急事態宣言の県となっているため、「新門司マリーナ」は宣言の発出以降、外来艇の受け入れはしていない。予約はかなり前にしていたので、入港は叶ったが「給油のための臨時入港、原則艇から出ない」ということで折り合いをつけてもらった。

コロナにはマリーナ関係者以上に私達ビジターも用心しており、別府往復クルーズから帰ってきた僚艇のI氏は貸切の家族風呂しか利用しなかったという。私もこれまでマリーナのシャワー施設も使わず艇内のシャワーを使っている。いずれにしても、コロナのホットゾーンの福岡県、夜の街に出かけても休業、時短で落ち着かないはずだ。艇内、出てもマリーナテラスまでで十分にけっこうである。何しろ外は久しぶりの快晴、マリーナ時間とアフトデッキで夕飯するだけで楽しいのである。

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さて、白く見える建物はなんだろう? トイレにしてはとてもおしゃれで、綺麗。あの十字架的な切れ込みも気になる。もしかして、チャペルかもしれない。不思議な建物である。

2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)5月21日大分「国東マリンピア」

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2日目:1日目の泊地「まつやま・ほりえ海の駅」では、早朝から西の風に変わり桟橋に波と風がやってくるようになった。この海の駅は西に開いており、燃料給油しやすい左舷着けを好む私はその西側の桟橋に艇をもやった。おかげで朝早く起こされ、眠気の大いに残る朝となった。早速、「Windy」をチェックしたところ、安全に「伊予灘」を横断できることが予見され、出航を決めた。

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9時30分に出港し、3時間後の12時30分に到着したが、「興居島」と「高浜」の間の水道を通り抜けてからは完全な向かい波、最初の2時間は1〜2mの波高の中をどすんどすんと、時には波スプレイがFBを洗う状態で走ることになった。今回初めてバウに搭載しているテンダー、船外機スタンドの固定状態が荒波で叩かれる中、どうなるか気になったが、それぞれしっかりと固定され、これで実証実験が終わった。

「国東半島」に近づけば波は0.5mに下がり、そして雨も上がり、これまでの18kt平均から25ktに増速して「マリンピア武蔵」に急いだ。このスピードだとほぼ滑走状態なので、0.5mの波の上を半ば飛ぶように走って行く。「マリンピア武蔵」は2度目の寄港となるので勝手がわかっており(初回の場合はHPで入港案内を見ておくと良い)サクサクと給油スタンド桟橋に着け、300L(累計550L)の給油で満タンに戻した。陸電ケーブルで200Vを取り込んだので今夜は発電機なしの静かな夜が楽しめる。

泊地としての基本情報だが、諸設備(含むコインランドリー)の状況は満点である。国東半島には宇佐神宮をはじめ豊富なコンテンツがたくさんある。温泉も別府温泉をはじめたくさんある。今回はコロナ禍なので諦めたが、その場合はレンタカー利用がおすすめである。大分飛行場からタクシーワンメターと言っても良い近さなので、レンタカーの事前予約をマリーナに依頼すればマリーナで鍵を受け取れる。

早速、塩だらけになった艇を洗い、叩かれて散らかった荷物類を元に戻しているうちに日差しが雲間から覗き始め、明日の好天が期待できるようになった。久しぶりの雨なしDAY、やっぱり陽光は素晴らしい。

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 今夜は陸電確保の船中泊となる。マリーナ内は静穏、発電機音のしない静寂な夜となった。そんな時は、やはりウイスキーが飲みたくなる。

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2021年春クルーズ(隠岐島・舞鶴)5月20日松山「まつやま・ほりえ海の駅」

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1日目: 朝7時、起きて窓に目をやると外は雨、それも雨雲が低く立ち込め視程も悪い。「Windy」で見ると風は北東7m、海上保安庁の「海の安全情報」で見ると大雨、雷(竜巻)、強風、波浪警報が愛媛県瀬戸内海海上に出ていた。なんで海上保安庁はこんなに警報を出しているのだろう。「Windy」予測ではこの後風は落ちるとされている。翌日の21日になると「燧灘」の風は西11mに変わる予想なので、向かい風の荒天航行を強いられる。今日なら海況は追い風、追い波。雨と雨雲による視程が気になるが、1マイル程度はありそうなので出港可能と判断した。

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11時、雨の中「仁尾マリーナ」を出港。1番気になっていたのは「来島海峡」の視程であった。視程悪化に備えて来島海峡の通過コースをウエイポイント(座標)設定し、視程ゼロになってもレーダースクリーンに映るウエイポイントを頼りに航行できるようにしておいた。確かに読みの通り視程は悪化してきたが、ギリギリ「今治港」の陸地を見通せ、さらに橋げたも見ながらの航行が果たせたので、結果は安全に通過できた(12時40分)。

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今年は通年より20日早く梅雨入りしているので、今回のクルーズは春期クルーズというより梅雨期クルーズと題した方がぴったりかもしれない。明日は警報からレベルが落ちてはいるものの同じ項目で注意報が出ている。一方で、炎天であまりに日差しの強い航行より、雨、曇りの方が体には優しい年齢になった自分にとって、今回の梅雨クルーズも意外と楽しい。

雨の中、港前にてバァーチャルアンカー(定点維持機能)をセットして、着岸準備のためデッキにでる。カッパ、フードに叩きつける雨音が心地よい。でもこれは、着岸すれば除湿の効いた艇内に戻れるからである。乾いた服に着替えられるからである。大学時代にクルーとして乗っていた「SK31」(加藤ボート)の梅雨期のカビ臭さが懐かしい。しかし、あれから50年も経ってしまった。

13時30分、「仁尾マリーナ」から平均艇速23kt、2時間30分、250Lの燃料消費して土砂降りの「まつやま・ほりえ海の駅」に到着した。「まつやま・ほりえ海の駅」には、九州方面にクルーズする際に何度も立ち寄っている。管理している「港食堂」オーナーからは事前に「今年はコロナで愛媛県はピリピリ状態なので、いつも楽しみにされている道後温泉、松山ナイトは無理ですよ」と聞いていたので、今回は艇から離れないことにした。早速、給油(アイユ石油)配達を受けて、まずは燃料を満タンに戻し明日の「大分」に備えた。

桟橋前の「港食堂」が18時に開くのを待って出かけたが、酒類の提供は19時までで店にいてもなんとなく落ち着かない。馴染みの若主人との会話もそこそこにして艇に戻った。今は熱いシャワーを浴びて、水割りタイムしながらブログを書き上げている。

因みに、この海の駅は昨年リニューアルされた。構造は何にも変わらないが、再塗装を中心に丁寧にメンテされていた。

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 ボート泊地としての基本紹介はこのブログ内のカテゴリーから「松山(瀬戸内海・愛媛)」のボタンを選択して合わせて見て頂きたい。

2021年春 ボートで行く隠岐島・舞鶴クルーズの準備

いつもなら、クルーズ前は風予報サイト「WINDY」をチェックしながら出港のタイミングを見計らうのだが、2020年、2021年は連続してコロナ緊急事態宣言情報のチェックが加わる。今日(2021年5月16日)現在、西日本エリアでは大阪、兵庫、岡山、広島、福岡県にそれが出ている。いずれも宣言の対象地域は、新幹線の停まる大都市となっている。

幸にして、今回のクルーズは瀬戸内海から関門海峡を抜けて山口県島根県鳥取県、そして兵庫県京都府日本海側となる丹後・舞鶴の往復コースである。今の緊急事態宣言であれば、立ち寄り予定の中に対象地区はほとんどない。一ヶ所、給油のため福岡県新門司マリーナに立ち寄るが、同マリーナから旧門司市街までのアクセスはタクシーしかない。まさに陸の孤島、きっとコロナはいないであろう。

こうした状況のもと、いよいよ出港の日が迫ってきた。今回のブログは、日本海のロングクルーズを計画されるボート・ヨットマンの方々にその状況を共有するために書こうと思っている。

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上記マップのような日本海クルーズ、それも北前船が立ち寄った港をめぐるとなると、寄港先には海の駅、大型艇を受け入れられるマリーナが少ない。これは今までの瀬戸内海や九州エリアと違う。民間のマリーナはプレジャーボートの対応に慣れており、いざという時の駆け込み寺にもなるので実は頼もしい。岸壁への係留については、干満の差が少ないと聞くので瀬戸内海よりは難易度は低いであろう。干満の差が小さいとはいえ、その岸壁には尖った貝が沢山付いている。そこに岸壁吹き寄せの強い風と波の到来、これは悪夢に近い。したがって、事前の岸壁係留準備も周到となってくる。

例えば、以下のようなものである。

1)テンダーの準備

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既に、5月14日付のブログ「ラブ・ミー・テンダー」で記載したが、テンダーを搭載していく事にしている。寄港地が漁港、一般港が多い事、日本海の港は冬の荒天を前提に周到に岸壁で囲まれているところが多い。全ての寄港先を「Googleマップ」で探し、拡大して接岸場所に当たりをつけておいたが、当然1番陸に近い、アクセスの良い所に着けられない。たいがい、ぐるっと回った堤防の端っこを指定される。テンダーがあれば一直線なのにと思う瞬間である。さらに運よく横付けできても風によってはケッジアンカーのセット、槍ずけならばスターンからの投げ込みアンカーの効き具合チェック、最悪の場合、沖の一文字堤防に係留なんていう事も想定しておかねばならない。いずれもテンダーがあれば心丈夫。勿論、海面が静かなら水深を気にせず、海からの観光も楽しめる。そんなことを諸々考えたら、邪魔にはなるが、やはりテンダーを積んで行こうと思った次第である。

2)メイン、バウスラスターバッテリーの交換

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「バッテリーの交換目安は2〜3年、2年以上使用しているバッテリーが上がってしまった場合には新品バッテリーへの交換を勧める」とは、バッテリーメーカのコメントである。既に5年が経過、消耗品と割り切って念のため全てを新しくした。アクセサリーバッテリーの他に「PRODA  NEO」という」トラック、建機向といった業務車両用の大型バッテリーが計4個積まれている。まずはメインエンジン起動用の2個を交換し、続いてバウスラスター分の2個も交換する事にした。因みに、バッテリーが劣化して来るといくら充電のために陸電で長時間チャージしていてもバッテリー充電が十分にされなくなる。一応電圧は規定ボルトに届いているので、その時点では電圧低下表示のみが出て、瞬間的には使えてしまう。しかし、連続して使うと化けの皮が剥がれる。すぐに電圧が低下して容量不足になってしまう。(バウスラスターに顕著)日帰りなら一回エンジンが掛かれば、発電機による充電が進み、その日帰港するぐらいまでは電圧降下現象が出ることはないので交換を先送りすることもできる。しかし、やはり漁港での接岸が通常となる今回はスラスターを使う頻度も高まるのでやはり交換しておく事にした。

3)涙滴フェンダーの用意

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クルーズ先では、ホームポートの浮桟橋で使っている小型フェンダーだけでは心許ない。岸壁係留になればなおさらである。よって、いつもはインターコムの「インフレータブルフェンダー」を積み込んで使っている。謳い文句は「防弾チョッキ用のケプラー素材で作られている」であるが、実際に種子島西之表港で10m超の寄せの強風下、フジツボだらけの岸壁に波でガンガンと擦られた時はさすがに穴が空いてしまった。幸い、修理が叶うので今も使えている。そのような場合は「バスマットをガムテープで巻き付けて使えば良い」とは、某先輩のアドバイス。このアドバイスに従って、以降はバスマットとブルーシートを積み込んでいる。さらに今回は、涙滴フェンダーも新たに購入して対応力を引き上げている。

こうした準備策の他に、岸壁ビットと艇の舫ロープの擦れ対策としてステンレスワイヤー、伸縮梯子、バールを積んでいく。オイル(エンジン、ジェネ)の交換、ジンクの新規取り替え、船底タッチペイント処理は無論やっておいた。

このブログを書いている最中に僚艇「ワイヘケ」が仁尾(5/4)→尾道→ゆたか→おおがき→武蔵まりんぴあ→別府→室津→おおがき→ゆたか→仁尾(5/19)を15日かけて走破して無事帰ってきた。梅雨入りがいつもより20日早い中、きっとクルーズ中は湿気ぱなっしの航海(後悔?)だったかもしれない。いずれにしても、次回の茶話会でこの航海をネタに大いに盛り上がりたいものである。

ラブ・ミー・「テンダー」! PONAM-35のテンダー考察

ラブ・ミー・テンダーという曲がある。エルビスプレスリーの初主演映「やさしく愛して」の主題歌として制作されたものである。英文法的には「Love me tenderly]」が正しいのだろうが、やはり歌うとなれば「Love me tender」の方が耳障りが良いのは、日本人でも同様であろう。そのテンダーの本来の意味は「世話をする人、看護人」といった意味の英単語だそうだが、鉄道では炭水車(蒸気機関車に付属して石炭や水を供給する車両)、船舶では船と陸地の間を結んで人員や物資を輸送する小船という意味になる。

そのテンダー(アキレスLF−260RUロールアップフロアモデル)を2馬力船外機とともに購入した。テンダーボートにも船名を入れた。もともと、トリコロール彩色なので派手であるが、さらにこれで識別が容易となるであろう。

クルーズ前に一度、降ろし→船外機装着→乗船→走行の実体験を念のためしておくつもりである。

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 下記3点の写真はテンダーの搭載場所(バウ)、搭載方法(船底を上にして白の紫外線防止シート+ベルト4点固定)そして船外機の搭載場所と方法(アフトデッキガンネルにスタンド固定)を紹介したものである。

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 ちなみにこのサイズのテンダー(全長260cm、全147cm)であれば、PONAM−35のアフトデッキ内にすっぽり収まる。しかしそれでは足の踏み場がなくなってしまい、不便この上もなかった。そこで膨らませている場合の搭載場所をバウデッキに変更した。勿論、空気を抜いている場合はロールアップしておけば、アフトデッキ内においても邪魔にはならないし、この大きめのエンジンマウンターの下部(赤の燃料タンクのある所)に置いて運ぶこともできる。大きめサイズを買って結果良かった。

バウデッキに搭載するので、風対策は重要となる。強風、向かい波による風圧と上下振動が相まってテンダーが舞い上がらないように常時ベルトでしっかりと固定しておかねば事故を招く。それでも荒天航海が予想される時は、予めロールアップしてアフトデッキにしまうくらいの慎重さも必要になる。強力なショックコードで固定している艇を見かけるが、高速で走るボートの場合は絶対にやめた方が良いと思う。また、夏の炎天下の紫外線は相当なものなので、ベルトに加え劣化防止の白いカバーも製作した。

船外機は2馬力(ホンダ空冷)を選択したが、納品は7月末、2ヶ月待ちの状況。それでは、今回のクルーズに間に合わないので僚艇「NAMIKOMACHI」から借りることにした。普段から船外機メンテのためだけにマリーナ内を走っているだけあって、手入れが行き届いており一発で始動、オーナーの日々のメンテ努力に脱帽した。

 

アルミ艇(PONAM-35)海上係留、1年経過報告

2020年4月から私の艇は海上係留となっている。ご存知のようにPONAM-35はアルミハルなので、とかく海水との相性から海上係留を懸念する声をよく聞く。マリーナによっては不測の電食穴あき→浸水→沈没を想起して通年の海上係留契約を断る事例もある。メーカー側もPONAM−35以外のアルミハル艇の常時海上係留を推奨していない。こうした前提の上で、私のPONAM−35 海上係留が一年経過した。その報告を読者の皆さんと共有することがこの記事の目的である。

見解①  『水温の高くなる 夏は、銅イオンフリー防汚塗装しても常時海上係留は避けたい!』

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 まず、上記の2点の写真をご覧いただきたい。2020年4月末に船底塗装を完璧実施した後、5ヶ月経過した際の上架時の写真である。走行性能の著しい劣化(回転数上がらず)に直面したのでその原因を調べるために上架した。原因は船艇全体についたフジツボ、とりわけペラについたフジツボが主たる要因であった。私の最初の印象は「船底塗装しっかりやったのに、こんなにフジツボがつくとは…」であった。

同時に「ペラに対しこの程度のフジツボ付着で回転数が上がらなくなるとは……」とも思った。後に分かった事だが、燃費向上の観点からPONAM-35では大容量エンジンでトルクバンドを広くして押しまくるスタイルを採用していないためだそうだ。つまり、最適燃費回転数域でトルクが出るようにセットされているため(例えばレーシングカーのようなセッティング)、低回転域ではトルクが非力になりがちと理解した。

話を海上係留に戻すとトヨタマリンのO氏曰く「PONAMー35、勿論、海上係留は可能だがオーナーさんにはお勧めしていない。アルミハルで使用する銅イオンフリーの船底塗料は効果がFRP艇用に比べ弱い、特に夏の海水温がこのところの温暖化で上がっているため効果の弱さが露呈してしまう。本当を言うと夏の間だけは上架して欲しい。できなければ毎週走って欲しい、時間がなければ桟橋にもやったまま後進微速でペラを回し、水流をペラと船底全体に当てて欲しい」であった。

 

見解②   『低水温時期(秋冬春)なら銅イオンフリー船底塗装でも充分有効!』

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上記の2点写真は、2020年9月の中間上架で船底を洗い、船底塗装(タッチペイント)を施し、ペラクリンを再塗装して再び海上係留に戻して7ヶ月が経過した2021年5月の船底状態を映したものである。

秋、冬、春の水温であれば、美観はともかく走行には影響がないレベルで船底が保たれていたことが見てもわかる。勿論、この間、ベタ置きではなく、最低月一回出港、さらに出港しなくてもマリーナに行った際には桟橋固定のまま後進でペラを回して水流を当てていた。

 

さて、船底塗装とは直接関係ない話しとなるが、海上係留では水面下が見えないため防汚確認の他に船底状態の定期的な確認が必要だと思った。

今回の上架で、想定外の事象が発生していたからである。それはバウスラスターに起こっていた。この数ヶ月、操船モニターにスラスター関連の警告(電圧降下、ジョイスティック異常)がしばしばでるようになっていた。「おかしいな、充電はしっかりされているのに」と考えながら、リセットして使用を続行していたが、動作音はいかにも苦しそう。最後はジョイスティックを使っての横移動ができなくなってしまった。

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上げて見ればなんのことは無い、バウスラスターに魚網が巻き、段々と首閉めの度合いがきつくなっていたのだった。一瞥した際には、マリーナ堤防の釣り人が捨てた仕掛け、ラインが絡まったと短絡したが、取り外してみれば写真通りの魚網の切れ端であった。バウスラスターは桟橋付近でしか使わないので、マリーナ内にゴミとして入ってきた網の切れ端を出港時に吸い込んだのであろう

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さあ、明日から船底のメンテナンス開始である。その間に清掃、タッチ塗装、ジンク交換、オイル交換などを行う予定である。

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綺麗になった!